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雑談

花のない風景  淋しい村の物語

今でこそ私の周囲には花物語が咲き誇っているが
私の生まれた村には自慢の出来る花物語はなかった。

町の中心から隣町に接して私の半農半漁の村は在った、
その時代において陸の孤島というべき貧しい寒村だった。

物心ついた頃は蚕の成育で生計を立てていた時代は既に
終わって、更に貧しい芋と麦を急傾斜の段畑に栽培する
農家に移り変わっていた。

男手はその上、夕方ともなると手漕ぎの四つ張り網漁業で
沖き合いに漕ぎ出していく、どの家庭も貧しく淋しい生業
の明け暮れだった。

だから、今振り返っても、各家庭にそして段畑に花の匂う
風景はなかった、村人には花を愛でる余裕がなかったと云う
ことなのかも知れない。

町で住むようになって、大型日曜店舗で買い物をするように
なると、何処にもフラワーコーナ-が在る、

見事に訴えてくる花々の精は、人間と動植物共存の大切な
ことを教えてくれる、生きるものの崇高な形、花に見る。

私が、ブログ友達の花便りに答えられない原因がここにある。
幼少の頃から小学校へ進んでも校庭の一部、校舎裏の小さな
畑には、いたいけな花々がその命を宿して生き生きとしていた。

だが、学校の周辺の民家、民地に花の姿はなかった、
生きることに精一杯の村人に花に目を向ける余裕はなかった。

今振り返っても花のない風景がどんなに無味乾燥な土地柄だった
のか思い知らされる、大人たちの苦闘がこんな所に見えてくる。

それでも、我が故郷は懐かしい、こんな貧乏に喘いだ村だから
こそ、私はふるさとを尊敬する。
花のない風景、貧乏ゆえ花に目を向けられなかった村人が愛しい。

淋しい村の物語は、花のない風景に現れていた。
ブログ友達から寄せられる花のある風景、そして愛しの花々 
私の青春が、そしてふるさと回帰が心豊かに迫ってくる。

めでる花々 沖縄のコスモスさんの 花便りが男の弧線をゆする。

花のない風景  淋しい村の物語” に3件のコメントがあります

  1. 杉の子さん。
    onecat01さん。
    こんばんわ。

    喘息という持病持ちのコスモスは、咳が止まるのがなかなかなのですが、食欲も出て今晩も
    島酒オンザロックを「少々頂いて?」参りました。
    コスモスは4歳半ばの時に挑戦から引き揚げて高鍋に参りましたが、あの頃は、食べ物が乏しくて
    何処のご家庭でも「花とのご縁」が無かったように思います。
    人口2万人の高鍋町で敗戦後父がパン工場を営み、幼少時代は比較的恵まれた環境に居ました。
    (旭化成の申し出で、油脂工場を営むまでは・・・。)
    常に大人数の大所帯で、両親の苦労も大変でしたが、思い出とはその頃の人々の姿を彩り、大変
    懐かしく美しい過去に仕上げてしまいます。

    コスモスの小さなころは、現在のように品種改良された花がある訳でもなく、コスモス専用の
    小さな畑に僅か数種の花を植えていた記憶があるばかりです。
    「キンセンカ」「ナデシコ」「ハナ虎の尾」「アオイ」唯一お洒落な白いバラ・・・でした。
    onecat01さんは、大変花の種類も豊富にご存知ですが、コスモスはようやくブログで知った知識しか
    ありません。ただ、毎日が100円生活でしたので、幼少の頃周囲の植物や山菜でしのんだ記憶をもとに
    真似事をせざるおえなかったのでした。
    考えると、コスモスの得意の分野は何もなく、直ぐにメッキが剥がれてしまいます。
    お二人には「お花の専門家」に観て貰いたいのに・・・。残念なことです。

    昔は病気になりましても、病院へは行かずに、庭に生えている植物に頼って、民間療法をとり入れて
    いました。熱が出た時、胃が痛い時、下痢したとき、子供のオネショ・・・そのたびに、母が処方してくれ
    たお薬を飲んでいました。

    今日もある人から相談されて、血圧が安定しない息子さんの話でした。
    少しも暮らしに困っておられないのに、自然の植物で治したい、と病院へもかからず・・・なのです。
    「ヨモギ」を毎日お茶にして飲ませている、でも血圧が安定しない、というご相談です。
    コスモスは、先ず病院で診てもらうことをお勧めします。
    処方されたお薬で安定しないときは、効用のある植物をご紹介しますね。と答えています。
    コスモスの年代の方はとても悪い意味でも良い意味でも、お金の使い道がとても下手であるように思います。

    あ、お二人に向かって、何を書いて居りますやら。
    そうそう、杉の子さん。コスモスは今日、久しくお尋ねしなかった相互読者さんをノック致しました。
    「病葉」のことを書いて居られたのですが、

    仲宗根美樹「川は流れる」
      昭和36年9月発売
      作詞:横井弘 作曲・編曲:桜田誠一
     一 病葉(わくらば)を 今日も浮かべて
       街の谷 川は流れる
       ささやかな 望み破れて
       哀しみに 染まる瞳に
       黄昏の 水のまぶしさ
     二 思い出の 橋のたもとに
       錆ついた 夢のかずかず
       ある人は 心つめたく
       ある人は 好きで別れて
       吹き抜ける 風に泣いてる
     三 ともし灯も 薄い谷間を
       ひとすじに 川は流れる
       人の世の 塵にまみれて
       なお生きる 水をみつめて
       嘆くまい 明日は明るく

    とても美しい歌でしたよね。沖縄のご両親のもとに生まれて、ご本人は東京育ち、すっかり忘れていた
    歌手でした。歳を取るごとに妖艶に?なられるような、不思議な人でした。

    話はクルクル変わります。
    onecat01さんのブログ、いつの間にか500回を超えていて、とても驚きました。
    書評500回ですもの・・・貴重なブログですね。
    おめでとうございます・・を言えなかったので、今頃祝杯を挙げさせて頂きますね。
    大勢のファンを抱える五木寛之さんも、色がさめてしまいましたね。

    今宵は中曽根美樹さんの歌で参りましょう。(コスモスのドラ声も昔より味があるよ。な~んちゃって!」

  2. 杉の子さん。

     あの頃は、周囲に花がなかった・・・・・。言われてみますと、私の周りもそうだったような気がします。その日その日を生きることに精一杯で、花を愛でる余裕がなかった・・・・、そうだったのでしょうね。今のように庭に花を植え、垣根に花を伝わせ、みなが楽しむ暮らしはありませんでしたね。それでも、貧しかった田舎や、貧しかった暮らしは懐かしくて、大切な思い出となっています。今回のブログは、私の気持ちによく響きました。だから、コスモスさんの美しい花便りに、惹かされると、そんな杉の子さんの言葉に納得もしました。ただ私は単純なので、そこまでは思い至らず、コスコスさんの花の、明るさと綺麗さに目を奪われているだけです。

     コスモスさん。
    仲宗根美樹の「川は流れる」、この曲は好きです。この人の曲は、これしか知りませんが、何度聞きましても飽きません。歌謡曲やクラシックなど、私の音樂アルバムには、無秩序に曲が入ってますので、ときどき聞いています。巻き舌で、しどけなく、あるいは妖艶なのか、不思議な魅力ですね。

     そうですか、500回ですか。ありがとうございます。でも本日は飲める日でないから、祝杯は明日にします。寒くなったり、暖かくなったり、ストーブを入れたり、消したり、相変わらず忙しい日々です。

     まとまりのないコメントとなりましたが、ご容赦ください。

  3. コスモスさん、
    onecat01さん。
    天然の花の美しさに引けを取らないコスモスさんから匂い起つ心の花々、コスモスさんの花は
    そんな美しい希望の花なのです、そこにはonecat01さんと甲乙つけがたい香りが充満しています。

    見た目より心に響く草花の精、こんな幸せはありません、コスモスさんの紹介された♪仲宗根美樹
    「川は流れる」を静かに聴いていると、あの昔、心震わせてテレビにかじりついた画面を思い出します、

    可憐だった仲宗根美樹にコスモスさんが二重写しに見えてきます、心のきれいな女性は、まるで
    天女のように男のハ-トを勇気付けてくれます。私とonecat01さんに夢を見させてくれる誰かさんに
    感謝。

    onecat01さんのブログ、500回越え、誠におめでとうございます、私と違って重厚な長編、その苦労は
    大変だと敬服いたします、今後とも御身体気をつけられまして良いブログを更新されますことを希望
    いたします。

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