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雑談

杉の子  交遊録  追憶

今宵のonecat01さんの暖かいコメントを拝見して本編に思い出を
綴りたいと思います。

私の経営した杉の子は、考えられないほどの生活体系の違う人たちで
賑わいました、ありがたい事でしたね。
それこそ、八幡浜中の人たちが一通り来たのではないかと思われる程。

市役所の裏にありましたから選挙になると対立候補の運動員、後援者
どうしの諍いに気を使いました。

ちょうど隣保館館長問題が起きて部落開放同盟と県知事側の同和対策
協議会と揉めた事がありました双方の支持者とは仲良しだったもので
すから、間にて気を使ったものでした。

伊方原発事業が始まって誘致の行政側及び企業体、反対派双方入り乱れて
店でかち合うなど、その気配りは大変でした、若干30歳前後の若造が
調整できるような簡単なものでは有りませんでしたが、どうにか無事に
対応させて貰いました。

在日の友とは、空手仲間の後輩の仲立ち、後輩と子供時代の遊び友達と
いう関係、店に客として来てから意気投合して交遊が始まる、私は分け
隔てなく付き合いましたから彼らも心を許してくれたのです。

そうこうするとその親達がやってくるようになり、後から判明したのだが
総連の偉い人、民団の役員さん、何かの会の集まりの後、二次会で来店
されました、政治の話等一切なし、暖かい眼差しで接して貰いましたよ。

多分、子供達が仲良くしてくれてありがとうとの思いが有ったのではない
でしょうか、パチンコ店の社長などは1人で来ていました。

殆ど良い思い出ばかりです、貧乏した人、今ではどのくらい財産を造ったか
分からないほどの金満家等多士済々です。

先般紹介したNとKは私より3級年下、えらいさんの息子は6級下、この
三人は既に亡くなりました、良い男達でした。

遊技場の二代目社長は東京で成功を治めていると風の便り、後輩の遊び友達は
高知と愛媛で大成功、勿論貧乏で地道に地元に根ざして居る人も沢山居ます。
私の松山転居とそれに伴う貧乏生活の為、彼らとの交流は途絶えました。

追憶の中に彼らを偲んでおります。

最後に、
彼ら在日の方々と私達の未来は、北朝鮮と韓国の反日教育がなくならない限り
真の友好は出来ないでしょう、私は悲観的に見ています。

私は彼らに他の人と違ってシンパシ-は失っていませんが、第一に日本第一
日本ファ-ストの精神は変わりません。

もし、お互いが戦う未来であれば、私は日本のために戦い、彼らが選ぶなら
韓国、北朝鮮のために戦えば良い、これは仕方のない宿命だと思っています。

格闘家の前田日明、 
作詞・作曲家 歌手 新井英一 
♪清河(チョンハー)への道
♪アジアの大地が 見たくって 俺はひとり旅に出た 玄界灘を船で越え 釜山の港を
前にして 夜が明けるのを 待っていた・・・

この二人が日本に向ける言葉は泣かされます、
又、バラエティ等で活躍する在日の芸人の中にも日本を擁護する人が増えている
ことも事実です。

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