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雑談

杉の子 新交友録1 東京に背を向けて again

その前年の夏、50年前に遡るので季節の移り変わりが心もとないのは
お許し願いたい。

「Sさん、どこか東京の大学空手部が合宿に来ているらしいよ ?」
誰だったか忘れたが教えに来てくれた「そう! どこでやっているの?」

八幡浜警察署の道場で青山学院大学空手道部数十名が合宿稽古していた、
私も誰かと見に行ったが、大学空手だけ有って気合が入っていた、
日空協 (日本空手協会) 学生達の自由組手及び型に興味が湧いて眺めたが
メリハリのある型はさすがだった。

引率していた男が一年後私の前に現われる、小柄な業師 A・Y である、
私の心を揺さぶる事になるAちゃんであるがその時は知る由もなかった。

一年後、彼が卒業して帰郷し、彼女との縁で知り合うことになった私は
彼の誘いも会って彼の父親の事業を手伝うことになる。

その間、彼及び彼の従弟T高校空手道部主将を務めていたS達数名と稽古
に励むことになる、このSは、後年国体出場を果たす剛毅な空手マンに
成長する、尚、本業はフェリ-の船長を務めて数年前定年退職した。

A・Yの空手は体を生かしたすばやい突き蹴りとメリハリのある型演舞に
定評があった、業師で尚且つ松涛館の伝統、前へ、現役から遠ざかった
私は翻弄されたものである、懐かしき彼の日よ !?

彼の先般の帰郷で40年ぶりに感激の再会を果たした、想像していなかった
総白髪でふっくらとした体型を見て私は安堵した。

「よかった恵まれた人生を送っている !」彼のため、内助の功を尽くした妻
Sちゃんのために私は心から嬉しく思った。

まるで二十歳代に還ったように我々は童心に戻った、眼光だけは鋭かった、
無理もない、今でも大学に出向いて後輩の指導に励んでいる、

その青学空手部は、特に女性部員の躍進が目覚しいと聞く、彼の話は面白い、
時間の関係でゆっくり出来なかったが来る12月の彼の帰郷には泊まりがけ
で酒席をともにしたい。

彼を先輩と立てる駒澤大学空手道部OBのF住職も勿論一緒である 「押忍」

人生とは何と面白く不思議なものであろう ?

「Sさん、50になったら又逢おうな !」 あの鮨屋での男二人の「別れ酒」
優に20年、余分に過ぎたが、お互い元気な姿で再会できた、私は奇跡だと
思っている。

ともに癌を患い手術をして、こうして合間見えたのである。

「望郷逢い合い酒」 青山学院大学空手道部OB A・Y 通称 アキラ !
私や周りを囲む男達にとって、光り輝く男の勲章である。

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