物事は見る角度によって千差万別に見える。
花々ひとつとっても趣が違ってくる。
日常の風景、行きかう人の波、心の状態次第で変化する。
好き嫌いもそんな風に考えると直せない筈はないと思える、
置かれた環境、相手との優劣、面白いほど変わってくる。
日常の風景から、一歩外に出て見る、新しい発見、再確認、
等々、人生のロケ-ションが随分豊富に展開する事が分かる。
この柔軟性は人間がずるくなったと云う事なのかも知れないが、
良い方に考えると多面性が増えて仕合わせが手繰り寄せられる。
そんなところで1人ほくそ笑むこともある。
意見を、良い面の忠告と取ればありがたい学習になるが、悪口
と取れば人間関係の否定となってしまい、その後の進展はない。
片側通行ぐらい狭い人間観察はない ?
私の苦い経験に、ある事である機関に事情を聞かれたことがある、
一方の言い分を聞いただけでこちらの弁明を聞かなかった係官
の心象は後の対応に現れることになった。
裁判所の調停委員にも言えることだが変な先入観は捨ててもらい
双方の言い分を公平に聞いてもらいたいものである。
何故なら、世の中には芝居上手と口八丁がそこ等あたりに跋扈
している現実を認識頂きたいと願うからである、
じゃないと正直者が馬鹿を見る、騙し上手が蔓延る社会になる。
それにしても人間が人間である以上、間違いは有る、起こり得る、
その前提で眺めると怖い社会でもあるが、たかが人間の世界なの
だと言うことでもある。
上に立つ者は、あなたに話しかける人間がどんな性格の人なのか
今一度、観察眼を訪ね人にも向けてもらいたい。
無辜の人が損をする社会で有ってはならない、その裏に、それを
逆手に取る社会悪が芽生える要素でもあるからです。
口の上手い人は、次回から私の前に現われなくなる、なぜなのか?
私は薄々分かっているが口外しない、彼にも人格があるからである。
「騙し上手は、騙され上手」
お前さんの上を行く人は、世の中にはザラに居る、口は災いの元。