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日常生活

師走のひとこま

師走のひとこま、
朝晩の冷え込みと予想のつかない老犬のトイレ事情、
夜中、何度起こされるか伺い知れない。
特に大の方の予測がつかなくなった。

その始末をするのは私の役目、
生後50日で仲良しの調査士K先生から貰った芝犬のMちやん、
この10月で萬17才になった。

目は緑内障でほとんど見えないが、目の横側に顔を寄せると
うっすらと見えるようだ。
硬いものも噛めなくなった、
耳は耳元で大き目の声を出すと聞こえるが難聴の部類、
鼻も匂いがわかりにくく口元のご飯さえ口を当てないと判らない、
歩くのは、よぼよぼだがトイレの時運動のために無理に歩かせる。

便通のためにもがんばってもらう、と言っても家の前を少しばかり。

いたいけな姿を見ると、生後50日から家族の一員になった日々が
蘇る、
私の苦闘を傍で見てくれた戦友でも有る。

その日、別れの日を、私は平穏に迎えられるだろうか ?

家の中で飼った犬だったが、
われわれが家を出る時、部屋のガラス窓越しに悲しげにたたずんだ
姿と帰宅の折、我を忘れて玄関先へ出迎えてくれた嬉々とした顔が
よみがえる。

17年間の内、一度だけ彼女が生まれた家と庭に置かれた鉄の檻を
見せに行ったことが有る、
「Mちゃん、Mちゃんの生まれたお家だよ、お母さんは居ないね」

既に、彼女を生んだ母犬は死んだことを知らされていた。

何の感慨もないようにMちゃんは、周囲を見渡した、
たった一度の里帰りだったが人間社会と違い、迎える人(犬)のいない
故郷、動物達の孤独を思って眺めたものである。

夜中に、声にならない声が聞こえる・・・
冬の寒さ防止のため手縫いの衣服を着せているが、不自由になった
左手が袖からはみ出て絡まっている、

一生懸命に左手を動かすが絡まってどうしょうもなくなってしまう、
挙句の果て首と体がねじれて不自然な身体に根を上げている、
最後は悲鳴に近い悲痛な声を発するということである。

ものが言えなく意思表示の出来なくなった愛犬が最後に見せる生きる
証である。

辛い状態の鳴き声だが彼女の生きる執念の声だと感慨深く聞いている。

「Mちゃん、お父さん 仲間との忘年会に行って来るよ、またトイレ
連れて行ってあげるからね」

目は見えないが、穏やかな表情を返してくれた。

生きるって、素晴らしい、友の待つ居酒屋に向かう、
20数名の忘年会の始まりである。

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