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友情

握手  恩讐の彼方

葬儀告別式が終わって家族とともに同級生一同も火葬場に向った、家族の最後の別れを身近に見るほど胸に来るものはない。

小学の何年生だったか父親を車の事故で亡くした竹馬の友0、学業優秀、柔道を極めた質実剛健、内剛外柔の男だった。

まるで眠ったような穏やかな死に顔だった、花を手向けて言葉を掛けた、辛い別れだった、

二十歳の時の光景が思い出される、夏の大洲の花火大会で都会へ出た同級生も帰郷して10名ほどで肱川の鵜飼舟に繰り出した。

同級生もみんな仲良しばかりではない、舟に乗ったとき0の声が私の耳元に響いた、「Sやん、Aを川へ叩き落とそうか !」

我慢しきれない形相で私に問うて来た、「止めとけや !」と私、「そうか!よし分かった !」彼は腹立たしい気持ちを抑えて我慢してくれた。

このことがずっと後々まで緒を引きことになる、相手のAの性格は相も変わらず横柄で同級生唯一の頭痛の種であった。

不条理だが、私にとってこのAは生まれて気が付いたら傍に遊んでいた生粋の竹馬の友なのである。

後々、あの時、舟遊びの時、思う存分0にAを懲らしめさせればよかったと後悔することになる、これらも私が、降りかかる火の粉は払えば良いという要因になった。

自分が痛い思いをすれば人の痛みが分かる、これが私の持論になった。

見送る同級生の中にAがいて、0を見送る葬儀告別式、不思議な感慨を私は覚えていた、些か場違いのわがままを見せているAに私は意地悪をプレゼントする事にした。

隣に座るAの右手を握る振りをして、三段階で彼の手をきつく締めた、一瞬声もなくAは顔をしかめた、痛覚が酷いと声が出ない、私の無言の諭しだった、棺に花々を入れる前の事である。

その数10分後、穏やかに眠る0の胸に私は花をそっと乗せた、心持0の顔が微笑み返したように感じられた、ささやかな敵討ち ?

「Sやん、Aを川へ叩き落とそうか !」 「止めとけや !」あの二十歳の花火大会、舟遊びのひとこまだったが (思い切りやらせてやればよかった!)  0にすまないとずっと後悔し続けた私だった ?

ささやかな復讐 ? 花に包まれた0が「Sやん!ありがとう !」そんな錯覚を覚えていた。

帰る時までAのアプロ-チは続いた、隙を見て話しかけて来るのである、彼もまた井の中に住む住人、けして悪気はない !

手を握るだけならそれは愛嬌、沖縄空手の技のひとつが頭に浮かんだ  ?

これが葬儀告別式ではなかったら、そして若いあの時に戻れるなら、一発でいい0の悔しさを晴らしてやったものを? 正直なところそんな不遜を考える自分がいた。

( だがそれをやっちゃ ! おしまいよ ?)  霊柩車の屋根に雨粒が落ちてきた。

人間は、仲良くしてこそ値打ちがある、怨念に固まるほど民度の低いことはない、日本人はそんな民族ではない、誇り高き男、日本人 !?

道徳教育が言われ始めた昨今、戦後教育の成れの果てはお互い同士の人情、礼節の欠如に至った、道徳教育復活を切望した私にとって慈雨のごとくである。

日本人の心を取り戻せ ! 父母、先人を敬う教育の復活こそ日本のアイディンティティの礎となる。

「日本よ !?」

 

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