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事件

台風7号 接近

台風7号九州北部に最接近し大荒れのピークになる見込み。
水曜以降は日本海を離れて進みますが ?

私の居住する東温市は松山市の東部に位置して台風の影響は
比較的軽い、ただ目の前を流れる一級河川重信川は、泥水で
濁流と化す様は驚きを通り越して肝を冷やす。

河川て辛うじて糧を得る犬猫達は地獄の様相を目の当たりに
して声をひそめる、小鳥たちもしかりである。

私の幼少の頃から少年期にかけての故郷は、芋と麦の貧乏な
村だった、手漕ぎの小舟で沖を目指す四つ張り漁業で生計を
たてていた、命を賭けた男達の悲しみがある。

私が高校を卒業して後、20代半ばの頃、2人の尊敬する先輩が
台風のため海難事故に遭って死亡した、共に貧乏な家庭、長男
だった2人は底引き網と云う漁法の乗組員として荒海に乗り出した。

話を続けるのが耐えられない最後を聞き、私の記憶に沈殿して
今日に至っている。

漁船の沈没、船室に閉じ込められた漁船員は、全員がハッチに
折り重なって脱出を試みていたそうである、その情景を想像して
平静におられる者はいない。

私も胸が締め付けられて、それ以降トラウマになった程である。

ひとつ上とふたつ上の先輩、ともに私に優しい言葉をかけてくれる
良い人たちだったが悲しいことに貧乏は上を目指す教育の機会を与
えてくれない、最も過酷な職業を選択せざるを得なかったのである。

私が空手修行の為下宿した元県会議長の先輩も長兄を海難事故で
亡くしていた、

この先輩の偉かったのは自らの病魔を顧みず、兄の無念を弔う為に
漁船沈没事故現場を探し当て、第一発見者と面会して丁重に弔った
ことである、

その後しばらくして先輩は両親と幸せ薄かった長兄の元へ旅立った。
私の住む家から数分上へ登った大安寺境内の墓地で、安らかな眠り
についている。

台風は古今、日本人には恨みの脅威、哀しみの災いとして存在し続け
ている、人間の限界をこれほど知らしめるものはない。

 

台風被害のないことを祈って      !?

 

 

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