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思い出

港町に 咲いた 侠たちの花

八幡様の下、市民会館裏通りに杉の子と云う泣かせる居酒屋が在った、もうずんぶん経つが青春が凝縮していたね。

私の周りには良い男たちがたくさんいた、すこし不良じみていたがね、いろいろな悩みを言って来て涙を流した奴もいた。

どうなんだよと、頷きながら聞いて、たまにハッパをかけて気合も入れた、男って切ないね、結構涙を出したものさ ?どうしているだろうね、どんな人生を歩んだことかね。

人並みに嫁さんを貰い所帯を持って、人の子のてて親になる、どんな顔してさ、説教垂れるのよ ? 自分の子供にね ?

底引き漁業のトロ-ル船団が休業期間で港に帰って来た、その港町には二隻で一統の船団が十数統いて町は賑わった。

船員はその休業期間の数ヶ月町で身体を休めていた、喧嘩早い荒くれ者だわね、あちこちで揉め事は起きていた。

ある時、歳が一緒の気心の合うBが女房子供とやって来た、渋い男伊達の彼が、全く別の顔を見せたのには驚いたね。

保育園年少組みの娘に、赤ちゃん言葉で受け答えしていた。屈強なCに一歩も引けを取らない啖呵を切った男がである。

やはり人の親になると変わるものだ、妙に感心した記憶がある、どうしているだろうね、当に船は下りて何をして糧を得たかね。

私の変な噂を聞いて、乗り込んできた腕自慢もいた、その町で素手ごろのチャンピオンと呼ばれDちゃんと云う兄いがいた  !数人とやって来て大人しく座っていたが、しばらくして席を立った、

馴染みの船員Eが店を出しなに「マスタ-今、隅に座っていたのがDちゃんですよ !」 そのもの静かな佇まいに私は唸った。

本当の男は、ああ云う男を指すんだ  !

私の別ブログ「蒙古放浪歌」で登場願ったAが昨年帰郷して感激の再会を果たした折、いった言葉が忘れられない ?

「Sさん、Dちゃんは、男だった !」としみじみ述懐していた。(そうだろう ! 分かるよ !) 私は胸の内で相槌を打った !

港町には粋な男衆が居た ! 弱きを助ける侠がいた !普段は物静かに若い者を眺めていた、ところがいざとなると眉が吊りあがり、阿修羅の形相に変わった !

素手ごろのDちゃん !  私が惚れた男伊達T兄ちゃん !もう鬼籍に入ってしまったが、もう一度逢いたかった男達である。

「Sよ! 困っていないか ?」 自転車に跨ったT兄ちゃんがにっこり笑って声を掛けてくれた。

名曲喫茶キリンで、芦原会館初代館長に「芦原!」と物怖じせず語りかけた男である。

もう一方・・・

「Sが来てくれるとは思わなかった !」 病気見舞に行った私にDちゃんはそう言って喜んでくれた。

良い兄貴達に恵まれた、面倒見の良い男の姿が影を潜めた今 !

港町を颯爽と歩いた男たちが懐かしい、受けた恩が嬉しかったら今度は人に尽くせば良い !

草葉の陰で兄いたちが呟いている。

「Sよ! 何か困っていないか ?」

それが嬉しかったから、困った人に視線が向くのである。

 

Sの弁慶の泣き所、港町はそんな想い出に包まれている、   泣かせるね  !?

 

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