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友情

別れ 友よ 同士よ !

暮れの午後10時少し前突然電話が鳴った、

普通なら電話が掛かって来ない時間帯である。

スマートホンの着信画面にB師範の名前が見える、

胸騒ぎを抑えてと応答した  !

「I・Sさんが亡くなりました  !」

密かに憂慮していた事が現実となった一瞬だった。

A会館のB先生からだった、彼の声は泣いていた、

「Sさん!」

遅い時間の失礼を詫びながら話す彼の言葉に聞き入った。

苦しい闘病に愚痴を言わず逆にB先生の今後を心配して

励まし続けた元極真会館、元芦原会館の野武士の死が

伝えられた。

ある時「Sちゃん近くまで来たから見舞いに行くよ!」

私の申し出を彼は優しくさえぎって言葉を続けた、

彼なりの思いからである、剛毅な中に優しさを備えた男

だった。

B師範と見舞いに行くと言いながら彼の言葉に躊躇する

私がいた、

直腸ガンを手術した時の私の心境が蘇ったのである。

ガンの宣告を受けて、私は見舞いの人を制限した、

親族さえも拒否した、

家族だけで最後の時間を過ごすことを望んだのである。

運命( 死 ) を受け入れて静かに死んで行こう  !

覚悟を重ねたのである。

それが私の男としての矜持だった、その想いにSちゃんの

厳しい闘病であることはB師範の報告で知り得ていた、

師範の報告を聞きながら私の心は千々に乱れた  ?

見舞わなかったことへの後悔 !   胸が詰まった。

芦原会館が松山に誕生する前夜、芦原館長の側でひっそり

と円心会館二宮城光館長と寄り添った武人その人である。

私とは空手以外の商売でも手を携えた男だった、

「マスターが止めているのだからやめんか  ❗️」

元気者2人の喧嘩に割って入って一喝した真の勇者だった。

12月半ば彼は家族だけに見守られて黄泉の国へ旅立った、

B師範にとっても兄に等しい男だった、

近いうちB先生と会うことを約束して師範の涙声と別れた。

除夜の鐘が、男  S・I  を弔うように悲しく響いて来た   !?

慎んで御冥福をお祈り申し上げます。

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