国境を越えて 白波は
軽妙な語り口、笑顔の絶えないレジェンド、先生 浦田に頭が下がる。
「いつ頃出会ったのかなァ ?」 ふたりして記憶を辿る。
浦田先生が大学を出て帰郷して間もなく私達は出逢った、そこには懐かしいSちゃんの存在を抜きにしては語れない。
〝注〟
昭和40年初頭 テレビで熱血先生学園モノか社会を席巻した、愛媛のH高に少林寺拳法を教える若いM先生が赴任して来た、H高の歴史に名を残す先生と生徒の熱い学園ドラマが始まる、
M先生に常に付き添う、ツリバン姿の学生が校内を闊歩した。彼の名前がS・M 彼の母と私の姉が女学校の同級生、そんな訳で私は彼を可愛がった。
お互い「Sちゃん!」「Sさん!」と呼びあったその彼である。
浦田先生ご夫妻には随分長い月日おつきあいを頂いた事になる、私の人生にとっての宝物、貴重で大切な出逢いの人だった。
奥さんも最後までそばでご歓談くだされた、私達はソファなのに床に座っての長時間、私の気配りが行き届かなかった。
辞退した後から気がつき、誠に申し訳ありませんでした。
浦田先生が素晴らしいのは何時でも自然体で媚を売らない、忌憚のない語り口である、その会話に引き込まれる。
2人共通の話題、数十年前の港町八幡浜のあの夜の出来事!少林寺拳法の使い手による飛燕の飛び蹴りの下りである。
ところが面白いことにその前日、何と別の実戦場面がほど近い場所で繰り広げられていたのである。
若かりし頃の神野五段は知る由もないが2人は首を伸ばして聞き入った。
私の別ブログでの武勇伝は相手はひとり、ところが前日の緊迫場面は10人の手勢を相手の立ち回りだったのである。
遠慮のない我々との会話は、浦田先生も幼少期へ里帰り !
ただ相手に言えるのは、名人達人を相手で良かった、それは苦しむ間も無く一瞬の間に夢の世界へ送ってもらえるからである。
試しに皆さん思い出していただきたい、大した腕でない者との闘いはどんなものか、今まで私が聞いてきた高段者の実戦経験は、まず、1~2発でケリがつく、あっという間に相手は意識を失う。
しかし相手の受ける負担は軽い、勿論手加減をしてのことであるが。
浦田先生貴重な裏話もされたが、それは大切に引出しに納めさせて頂くことにする。
武道の話にも関連するが、事業&海外事情に話題は移った、先生の交友関係は広い、我々が思いもつかぬ世界が広がる、神野五段の子息にもその気配りは向くことになる。
神野氏も神妙に拝聴していた、
ここで浦田先生の名誉の為、少林寺拳法に生き甲斐を掛け続ける皆様のために、申し述べておきたい。
浦田先生数ある中で私が知り得るのはごく僅かの事例である、その全てにおいて人助け及び止むに止まれぬ事情、例えば降りかかる火の粉への対応だったと言うことである。
少林寺拳法に関わる人達は自慢して良いと思います。
皆様は素晴らしい指導者を戴いて居られるのですから。
別れの時間が迫って来た、浦田先生の目が愛しさの中に光を帯びて私の心の中へ射し込んできた。
「お互い長生きしましょう!」
私の訪問目的が昨年逝去された末の弟君へのお悔やみにあった。
東海大学少林寺拳法部で一つ上の兄君と共に主将を務めた勇者である、
心よりご冥福をお祈り申し上げます。
「弟は、私より強かったかもしれないです !」
記憶を辿る浦田先生の目が一瞬和らいだ。
神野五段とお邪魔する時間がそこに来ていた。
佐田三崎の白波が波涛を越えて国境を渡る、親日国家へと !
少林寺拳法に生涯を捧げる全ての人々に厚く御礼申し上げます。