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思い出

男たちよ前え 自信を持て

男達よ自信を持て、

高校生までの私は全てにおいて劣等生、自慢できるものがなかった、勉強は言うに及ばず体育、男女関係全てダメな烙印の男だった。

ただ3年になって一念発起し最後の花を咲かせると猛勉強した、満足のいく成績を収めて卒業した、それから数年全てのコンプレックスが胡散霧散する、空手の効用である !

まず、私の周囲の空手の求道者達は皆潔くて男らしい野郎達だから女性にモテた、その交流の中で会話ができ冗談が言えるようになった。

何の抵抗もなくなるということは思ったことを素直に話せる、思いを伝える、男女お互いの会話が成り立つ事、私にとっての革命だった。

ただ当初は恥ずかしい言葉を使うと笑われる、嫌われると思い込んで言葉を選んで話すものだから、ある女性には「その言葉使いは嫌だな ?」 と言われたものである。

モテようと思えば強くなること、男らしくなること、責任を負うこと!金銭に綺麗なこと、間違ってもモテるとのぼせ上がって女に支払いをさせるようなことはしないこと。

「私が出します、私が払いますよ !」と 女性が例え申し出ても男の甲斐性で甘えてはならない、ない金をはたくのが男ではないか    !

私の店に沢山の老若男女がお客さんとして来ていただいた、店を出る時の支払いにその男女の関係が浮き彫りに見える、惚れてるのはどちらか、男の腹が見えてくる。

カッコつける男前が、いつも同伴の女性に支払いをさせる、嬉しそうに払う女性もいれば、少し悲しそうに財布を開く女性もいた。

( 何だよ  !いつも女に払わせて  !)   腹に納める私の独り言である。

手前味噌になるが、

どこを見ても良いところなしの私だが、ただひとつ自慢できるのは、「物事は全て男の責任、解決は正々堂々 !   逃げるな、前え  !」

その生き様を評価してくれたのかどうか知らないが、私一番の自慢は、何級か下のH 高のモテ女学生メンバー(女番長グループ)達から仲間のある女性と結婚してあげてと言われたことである。

二十歳まで女っ気なし、モテたこと一度もない劣等生、その男に、モテ筋ナンバーワンの彼女達から結婚してあげてと懇願された、当の相手は深窓の令嬢、顔貌遜色なし、勿論全校生が羨望の眼差しで見上げる女性だった。

その後、彼女の婚約を聞いた私は、店に招待して真心込めて朝一番のドリップ珈琲を煎れてお別れの祝福とした。

2度と逢うことのなかった女性は良き夫に恵まれて幸せな人生を送っている、風の便りは、私と同じ城下町に在ると伝えて来た。

あの朝、彼女が流した涙は男に真っ当に生きる志を植え付けてくれた。

モテなかった男のモテ女グループからのラブレター💌  は、人生最高のご褒美、応援歌だった「強く生きてよ !   S さん  !」

見目麗しい純愛の一コマは永遠の闇に葬ることにした。

懐かしの港町、麗しの女性たち、そんな故郷が私は愛しい  !

その町は

「愛媛県八幡浜市」

後に芦原空手の聖地と呼ばれるようになった港町である !?

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