空手の動画で空手の突きによる顔面への攻撃について正道会館四国本部長二宮師範が解説していた。
顔面への正拳突きの説明だった、フック気味に内へ引っ掛けるものだった、こうだと衝撃は少ない、まっすぐ突くと砕けるからとの解説だった。
それを見ていると沖縄空手に共通していることに気がつく。
国境で繰り広げられる反日国家による侵入侵犯事件をニュースで見る度に、その時起こり得る白兵戦の壮絶な殺し合いに思いがゆく。
手加減することは自分の命を失うこと、だから一撃必殺を心掛けざるを得ない、二宮師範の説明が身に染みる。
若い頃に巷でよく聞いた話、腕試し、実戦での手柄話 ?自慢げに話していたが、それは勝者の説く側の話 !私は、もう一つの当事者の話を聞きたいと思っていた ?
それは、蹴りをくらってのたうち回る敗者の無念である !ただコブシを喰らって、蹴りが入って、倒されただけの話では終わらない ?
皮膚がめくれ、骨が折れ、内臓への損傷等その後が悲惨である。
芦原館長存命時の東京から差し向けられた刺客に関する噂話は、勝者側の観点からの話のみで、返り討ちに遇った側の某支部長の後遺症から死亡に至る話は聞くことがない。
噂話が真実であれば現代空手においてあってはならない不祥事だったと残念に思う。
若かりし頃、ボロアパートで無邪気に語り合った2人だがその時感じた杞憂が今、目の前の出来事として現れた。
手段選ばず看板を守る、あの心の吐露は一抹の不安を私に抱かせるものだった、そこまでやらなくても ?
人生の皮肉、人を痛め過ぎるといつか我が身に帰る !私の疑念は不幸にも的中した。
芦原館長のためにも残念でならない、壮絶な空手人生から穏やかな普通の人生を送って欲しかった人である。
私の知る範囲でも、不幸な結果を迎えた事例がある、怒りの鉄拳が人的損傷、心の傷を負わせた不幸である。
加害者、被害者ともに心に傷を負う事になった。
怨念ぐらい人生に影を落とすものはない。
私は出来るだけ実力行使に出ないで、話し合いに重きをおいたのはこんな理由による。
武道が武道である限り人より秀でたい、強くありたい !それは理解するが、人間誰しも歳をとり朽ちていく。
強さは有限、安らぎこそが人が求める無限の極致である !?