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友情, 日本

日韓のはざまで

ほとんどの人はGSOMIA破棄と読んでいたようだが、思わぬ決着となった。

本心は親北、中国の報復が怖い、だから破棄だと見ていたが、やはりと言うのか、成る程と言うべきか、彼の国の決断はなかなか読めない。

しかし、アメリカの水面下に隠れた説得(恫喝)が功を奏したようである、日本への理由は国内向きのパフォーマンスだと見れば納得できないこともない。

まあ!とにかくシンドイお隣さんには違いない、関わりたくない引っ越したいと願う人が増えるはずである、だが、日本政府のやり取りがあからさまになって韓国への譲歩がもし表に出ることになれば、安倍政権の浮沈に関わることになる、長期政権の終焉が見えてくる。

韓国にしてもそうである、左派政権だから日本悪者論の常套句を使えば逃げれるとしても、野党、軍のOBあたりの不満を解消しないと思わぬ不覚をとることになる。

どちらにしても、いつでも解消できると外相が大見得を切っているから、いつ何時煮え湯を飲まされるかもしれない、ご用心。

早速、日本側の説明に文句をつけて来た、ああ言えばこう言う!世界の常識では図れない思考のお国である。

ただ救いは日本の学校で教育を受け真面目に日本に同化している多数の在日の人々もいると言う現実も見失ってはならない。

反日に凝り固まるのは全ての在日ではない、私の経験から在日の人たちで有っても、韓国へ行って差別を受けた人も多いのである。

心温まる在日へのオマージューをご紹介する、

日本人でありながら南北朝鮮に盲目的に追従する売国思考の人々がいる中で、例え祖国韓国でも良否を指摘する勇気ある芸人がいる。

マスコミ界でタブー視される南北非難をテレビの画面で堂々と語る漫才師、その彼らが歩んだ過去を忖度しながら私は彼らに敬意を表しています。

ある格闘家は、韓国へ里帰りの折に韓国人の仕打ちに失望と反感を抱いたと言う、そして語るのは「私は日本のために銃を取る」

生まれた国を呪い、反日国家に迎合する日本人に聞かせたい言葉である。

若い時に酒を酌み交わした在日の人々、ほとんどの人は苦労していた、

「Sさん、思った時が出発の時ですよ  !  60歳過ぎてゴミ拾いから始めて成功した人もいるのです  !」

私が「40までに基礎固めをしないとダメだね  ?」と話した後の彼の言葉だった、その彼は日本人の女性と結婚して、子供ができた時は涙を流して喜んだと言う。

私が松山へ出て来た事で彼との交友は途絶えた、それから数年後、彼の死を風の便りで聞くことになる。

私の友は幼い頃からの在日の友がいる、2人の交友に国境の壁はない。

日本と彼らの国が戦うことになれば、私は日本のために戦う、君たちは祖国のために戦えば良い、私の持論だが、仮に彼らが日本以外の国と戦うことになれば、

その戦場で彼らと遭遇した私は彼らを助ける、これは信念です          !?

日韓のはざまで” に2件のコメントがあります

  1. 「その戦場で彼らと遭遇した私は彼らを助ける、これは信念です」

     この言葉に、同意します。

    1. onecat01さん、
      わたし達は同じ感性で遊び学びました、だから怒り、喜びながらも、共に酒を酌み交わすことが出来たのです。
      良い悪いはあるとしても私は彼らを憎むよりも「その戦場で彼らと遭遇した私は彼らを助ける」

      コメントありがとうございました。

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