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人生, 友情

媚びるとリスペクト

媚びるとリスペクト

若い二十歳の時に私は終生の師匠と出会った、初めは普通の出会いで数多く集まる弟子・一般人の内の一人という立場に過ぎなかった。

何故、人が集まるのか、若い時はその人の人格に惚れるのではなく、空手が強い、けんかが強いとの風評で集まって来るのである。

虎の威を借りた狐、そんな若者たちの方が多かった、私は、常々末席の弟子ですと公言していた、心底そう思っていた。

だから、空手以外で師匠を慕う若者の中に、控える私を軽く見て尊大な態度をとる男も当然いたのである。

私の流儀とかけ離れた男がいる反面、その真摯な空手への熱意、真心をくみ取る先輩もいた、見る人は見るものである。

だから私の交友関係は多彩にわたり有益な人間関係が構築された、

出しゃばらない、出過ぎない、華やかな座の中心は他人へ譲る、この私の信念は今に続いている。

当然のこと師匠も仕事に追われ高齢になっていく、そのうちけんかの強い弱いというよりも世間的なステ-タスや財力に人の視線は向くようになる、こうして恩を忘れて離れて行ったひともいる。

先般、松山で確固とした税理事務所を構える師匠の息子が食事会に誘ってくれた、数多い弟子の中で今日に至るまで師を仰ぐ弟子は少なくなり、亡くなっている。

いつまでも末席弟子ですとの私の持論から卒業する時期に来ていることを感じていた私は、華やかな飲み会の途中で公言した。

「M君 ! もう ! 師匠の一番弟子で良いかい !」

息子M君の声も弾んでいた・・・

「Sちゃん! 当然ですよ ! 一番弟子ですよ ! 」

私の涙腺が男泣きしている、50年以上の師弟関係である、

私に悲しい現実が起きて、夜中に師匠の自宅を訪ねた事がある、勿論、玄関の戸は閉まって静まり返っていた、

私は、その玄関に手を添えて声にならない嗚咽を漏らした、涙が無性に流れてきた、師匠の名前を呼びながら泣いた。

男の友情、この年になってもあの夜のあの情景が鮮明に蘇る、男泣きした私は、その後悲しみに負けることはなかった。

強い男になったはずである、立場の弱い人が、悩みを抱えた人が私の元を訪ねて来る、各人様々な葛藤を抱えている、

「助けてもらって嬉しかったら、今度は困った人を助けてあげよ !」

私の自慢のばあばと両親の教えである、

無償の愛 !

これが私の持論であるが、その真意を理解できず、甘えるばかりの人もいる。

私も随分、歳を取りました、本当に私の助けが必要な人がいます、だから、あなたとは別れる季節が来ました、そう伝えたい人もいる。

やはり人間は、誠意、苦しみを共有できる人かどうか ?

三月は、別れと出会いの季節「蛍の光」が郷愁を誘います。

私は、敬意をこめてリスペクトしますが、けっして媚びません、あなたのポジションに惚れるのではありません、その人格に惚れるのです、別れの時が来たようです !

私が蛍の光を送る人

一般 常識、金銭感覚に欠けた人、辛抱強く付き合うが、その限界を感じた時に別 れを決断する。

わが心の中で蛍の光を奏でるのである。

日曜日の空が「ゆっくりできたかい ? また忙しくなるね !」 と笑っていた。  !?一

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