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思い出

片山町の朝陽

青春の蹉跌 片山町の朝陽

私の数少ないもめ事や仲裁にかかわった時に気が付いたことがある。

相手が狼藉者やチンピラだった時に必ず出た言葉 「〇兄を出すぞ!」というものである、強い兄貴分の名前を出しての恫喝である。

大きな街であれば、組関係の人間を指すのかもしれないが、私の住んでいた町は人口数万の小さな町だったので直接組関係の人間ではなかった、

正直それが大事にならず平穏に解決した幸運だったと言えるのだろう。

しかし後から知ることになるが、その時のチンピラ、兄貴分の周囲には関東、関西方面の組織に所属していた本物のやくざがいたのである、

しかし田舎の小さなもめ事に乗り出してくる正統派ヤクザはいなかった。

それが我々には幸いした、コップの中の争いごとで終わったのである。

「〇 兄ちゃんを出すぞ !」狭い町のことだから、その後当人と顔をあわせる機会はある、名前を出すだけあって度胸の据わった兄貴分が多かった。

私は、どんな相手でも無礼な態度はとらない、礼節を心掛けていたから無用な軋轢は起こらなかった、若造だと見逃してくれたのだろうと振り返っている。

青春の蹉跌

いろんな人間模様があり、危ない場面にも遭遇した、恋あり挫折あり、頭の痛い金銭関係のもつれ有り、私は歳の割には多くの経験をした方だと思う。

若さゆえ、許してもらい、正直に立ち向かうことで大人の度量に助けられた、

「Sだからいいか ?」 相手を立てて頭を下げることが理解を得られた要因である。

しかし卑怯な駆け引きと妥協はしなかった、イエス・ノ-をハッキリ伝えられる人間だった事が幸いしたのである。

あれが自信過剰で突っ走っていたら、問題を抱え込んで本当の悲劇に見舞われていたかも知れない、

「〇 兄ちゃんを出すぞ !」 追い込まれた筈の兄貴分に逆に可愛がられたことで、平穏に閉店を迎え、その後の杉の子ブログ誕生に至ったのである。

杉の子は多種多彩なお客様でにぎわった、みなさんに助けて貰った、

大臣の地元事務所は角を回ってすぐ横、Y市の政治家、有力者が常に傍にいた、

町一番の料亭は北へ数十メートル石段を上ったところ、政財界のお歴々が利用した料亭だった、ここのママに私は大事にしてもらった。

政財界、金融業界、会社員から農業・漁業の従事者、肉体労働者そして怖い兄さんたちに至るまで賑やかにご来店いただいた。

私の青春は少しの後悔もない、満ち足りた歳月だった、青春の蹉跌とは対極の世界にいた、

私は杉の子で育てられ、町の人々に導かれた、素晴らしい夕日を浴びて、光輝く朝陽を迎えることができた。

片山町の朝陽、二度とない青春、杉の子の最終章はさらに終わりを知らない   !?

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