広告
思い出

錯覚

錯覚

誰でも目の錯覚は経験したことがあるだろう、例えば山の稜線を見ていると人の姿に見える。

街を歩いていると横をすれ違う人や後ろ姿の女性に、自分と関係ある人に見えてきて鼓動が高鳴る時がある。

今までで一番驚いたことは、十数年前に松山日赤病院で駐車待ちしていた時のこと、目の前を小走りに母が走り抜けた、歳の頃70前後だろうか   ?

死んだはずなのにと思うこともなく「何故お袋が?」そして衝動的にその姿を追ったが見失った   !

それは、他人のそら似に違いないが、それでもハッとして姿を追う私がいた、苦労続きの息子を心配して励ます為にその姿を見せてくれたのだろうと思うと涙が滲んだ。

私はそのように解釈して、生きる糧にしている。

錯覚、あるいは幻、霊視、科学で割り切れない不思議の世界、絵画でテレビ画面で、又は人の写した写真で不思議な現象に巡り会う、人知を超えた摩訶不思議の世界。

驕るな人間よ!人間では解明できない難解な現象、宇宙の神秘を垣間見るようである、そのうち、理解できない現象に会う !

私はこの頃の天候異変を見ると、何となく地球の地殻変動を予測する、何もなければ良いが   ?

想像の域を超えた宇宙、広大過ぎてその物差しさえ見つからない、錯覚、この人間さえ本当は実在にあらず夢幻の世界の生物なのではないかと、ふっと立ち止まることがある。

先日、山口に住む甥との電話での会話は人の縁の不思議を思って余りある感慨を受けた。

彼が高校の頃仲の良い友が後輩を殴った場面に立ち会ったそうだ、案の定、職員会議を召集された。

甥は、担任と校長先生の前に小さくなって涙をこらえる母親とともに身を縮めていた、

校長先生新人教師の年、初めて受け持ったクラスに甥の叔母がいた、素朴で評判の女学生、新人教師の記憶に残る女生徒だった、

「何? 君は○○さんの甥なの?」校長先生は何度も嘆息したそうだ!

麗しの叔母は今は亡き私の姉、校長先生の淡い錯覚は1人の男子学生を再生させたのである。

その当時、私はあえて言わなかったが、彼らがビビった一世を風靡した県内高校の有力番長がいた、

彼は私の親しい先輩の弟、その後継者は私が私淑したご両親の息子、私はライオンの親の子育てを踏襲した。

「ええっ! 」甥のため息が電話の向こうで尾を引いた   ! 早く分かっていれば   ・・・「痛い思いをせずに、高校を卒業出来たものを   ?」

彼のため息が心地良かった。

( 殴られたからこそ、強くなれたのではないか  ! )

自分は偉い、この錯覚ほど、男を恥かしめるものはない             !?

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

広告