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世界, 思い出

乾坤一擲 歴史の必然

乾坤一擲 歴史の必然

現在の国際情勢を見る時、遥か昔の物語を思い出す、規模においては比べることすら無謀だがその類似性において注目するのである。

傍若無人に世界を股にかけて狼藉を働く大国がある、弱い国、弱い人々の怨嗟の声は届かない、聞く耳を持たない、諭すもののない大国のエゴの前に人々は沈黙する。

50人に満たない田舎の中学3年B組は2学期に入って進学組の表情は皆一様に緊張の度合いを強めていた、就職組は家庭の事情で高校へ行けないこともあって暗く沈んでいた。

進学と未知なる都会への不安との入り混ぜた境遇に教室はギスギスしていた。

その時、怒声が飛んで悲鳴が上がった、誰かが殴られたのである、弱肉強食、アフリカのサバンナの世界がここにも有った。

Aは肩を怒らせて殴った相手だけでなく教室の生徒全員にその苛立ちを見せていた、兄が殺されるという悲運が彼の身に起きていたのである。

同級生はその悲劇に同情しながらも理不尽な暴力に息をひそめた、気の小さな私に為すすべはない、黙って身を縮めていた。

「パァン !」思い切り頬を張る音がした、机に座っていた私は音のする方向を見た、呆然としているAの横で彼より少し背の高いBが無言でAを睨んでいた。

当事者2人に言葉はない、無言の内にBの平手が飛んだのである !日頃のAの! 傍若無人をBは苦々しく思っていたのである。

3年生以下Aに刃向かうもののいない田舎の村の中学校はそれを期に均衡が破れた、口数の減ったAの後ろ姿は兄を亡くしたこともあって哀れさを漂わせていた。

ところが無口になったAへ初めに声をかけたのは、当事者のBの方だった、4人兄弟の末っ子Bは、家では無口な甘えっ子でもあった。

それまでは目立たない普通の男子生徒、それだけAの受けた衝撃は大きかったということになる、

小学校は各年2クラス、Aと私は竹組、そしてBは松組で中学に入るまで接点はなかった。

田舎の学校に穏やかな日々が蘇ったのである、しかし私のその後の人生は、同じ高校へ進学したBと新しい友情の芽生えたAとの間で切り離せない因縁が芽生えてしまうのである。

その20年後、「Kとドス」の実話が田舎町で発生することになる、私は当事者としてその中心にいた、人生の皮肉である。

大国の傍若無人にアメリカは手を打つものの軍事力行使に至っていないが、不気味な地鳴りはだんだんと大きくなって来た、いわばなりを潜めているという状態なのである。

一方の大国がアメリカ組し易しと勘違いしないことだが、状況は悪化している。

あの日のAとBを彷彿させるように私の目には映る、アメリカの我慢を見間違わないことだが、私は警戒心を持って注視している。

未曾有の惨劇が予想される世界情勢、日本の政治家の内籠の国会運営はいつまで続くのだろうか、世界を牽引するアメリカの乾坤一擲を軽く見ないことである。

世界の歴史を作ってきた覇者アメリカの覚悟を軽視すべきではない。

Aは黄泉の国へ1人旅立ったがBの!消息は知れない、米中の歴史は何色で塗りつぶされるのだろうか   ?

宇宙船地球号の航海が安全に全うされることを祈念する             !?

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