もうどのくらい月日を数えたであろうか、その別れは特に辛いものになった。
その門の前に行くとニャンはいなかったので石柱の内側へそっと置いた、車に乗ろうとすると右手でニャンの鳴き声がする「にゃん! にゃん !待って!」
急いで私の足元へニャンはすり寄ってきた、これが今世の別れになろうとは、翌る日の夕闇が迫る頃再びニャンの元を訪ねた私に迎えるニャンの姿はなかった、その時初めて私は異変を察知した。
何故なんだ?何故現れないんだ ? ただ過去に一度も猫の捕獲はなかったのでセンターへの移送だけは考えなかったが、その頃ニャンが現れる時間帯になると中型の雑種の四国犬が現れるので最後に届けた昨夜の食事中に襲われたのではないかと想像された。
次の日もその次の日も私はニャンを求めて近辺を探し回った、ニャンとの出会いを振り返ってみる。
県の農業施設は小さな公園状の施設で樹々に囲まれた別天地だった、当時は、随時3匹程度の野良猫、捨て猫が住み着いていたが犬のテリトリは土手を降りた河川敷にあったので奇跡というべきか野良犬に襲われる事はなかった。
はじめの頃はお母さん猫がいたような気がするがはっきり覚えていない、その母猫が居なくなりニャンの生存の厳しさが始まる、フサフサとした灰色の猫で、そのうちそばに来て私が手を差し伸べるとじゃれるように擦り寄るようになった。
見た目より野良猫の悲しさ、痩せて小さな猫だった、ニャンの健気な生活は、ペルシャ猫の出現で一変する、両の耳の皮膚が破れて赤く血が滲むようになった、何故かと原因を探していたが驚くことが判明する、後から来た私にまでお愛想する良い猫だと思ったペルシャ猫が原因だと分かる。
ペルシャ猫の後からおずおずニャンが出て来るとペルシャが猛然とニャンに突進する、動きの緩慢な筈のニャンが脱兎のごとく逃げるようになった、多分馬乗りになったペルシャがニャンの耳をいたぶったのであろう、それを見た私は後日ペルシャを車に乗せてとなり村まで捨てに行ったが何日かしてペルシャは帰って来たのである。
次に松山市の隣の市へと連れて行った、その後にニャンの消息が途絶えたのである、安堵の嬉しさを味わう暇はなかった。
不思議な符号だが、しばらくしてニャン達がいた場所から300m高速道西のトンネル入り口にペルシャに似た猫の姿を見かけたが、その後はペルシャも忽然と消えた、錯覚だったのかも知れないがニャンの哀しみを助けてやることは出来なかったのである。
「ニャン ! ニャン !」
他の猫の後について出て来ると、小さくニャンと鳴く猫だったことから「ニャン!」と呼び掛けることから「ニャン」と名前を付けたのである。
私とは意志の通じた可愛いそして愛しい❤️大事な猫でした、私の分身でもあったのです、人間の世界での「イジメられっ子」生き方の下手な猫でした、反発するには弱すぎた私の昔の姿でもあったのです、私のイジメに対する強固な意志は、このような弱い者へのノスタルジアから来ています。
ニャンから引き離したペルシャ猫、その車中で人懐っこく私に甘えたこの子も可哀想な子(猫)でした、その明日が気になるところですが、この子は強く生きたと思いたい。
友よ! 大切な人よ !
この文章を書き記しながら私の目から涙がにじむ、か弱きもの達へのノスタルジア !救ってやりたいのに救えぬ命、人間の驕りが地球を悲劇に貶める。
しかし、歩みを止める事は悪魔をのさばらせる事、これ以上させないために我らは強くあらねばならない。
あなた達の哀しみをタビーちゃんはどう思うでしょう、「5年間本当にありがとう ! 幸せでした !」そのように告げているような気がします。
私は、たとえ短い期間でも彼や彼女達を飢餓から助けてあげた、わずかな期間だが人間にも良い人がいる、そんな思いを犬や猫に感じさせてあげたい、私の変わらぬ信念です。
過酷な現実からようやく解放された愛猫ニャン、優しい母のいる天国に召された、私はそのように考えることにしています。
ニャンとタビー、いつか、あの世で巡り会うことを願っています。
合掌
杉の子さん。
ニャンは貴方に懐いたのに、タビーは最後まで、手を触れさせませんでした。しかし1日に3回餌をもらいにきて、庭の上り口の踏段で、背を丸めて待っていました。食べ終わると散歩へ出かけ、いつの間にか自分の寝床へ入り、朝になると寝床から出てきました。それは私たち夫婦にとって、当たり前の光景で、日々の日課でもありました。
「ニャンとタビー、いつか、あの世で巡り会うことを願っています。」
そうあって欲しいものです。ブログに感謝いたします。
onecat01さん、
コメントの返事を書き終える寸前、作成した文章が手違いで消えてしまいました、
だから簡略にお答えいたします。
タビ-とニャンのブログは、あなたへ最悪の事態への覚悟をお伝えしたかったのです。
犬よりも猫は情が薄いと巷で言われます、それは知らぬ間に居なくなるところから言われるのだと思います。
私は逆の説を取っています、犬と違って自由に出歩く猫は車への警戒心が低い、それ故に轢かれる確率が高いのだと考えます、誰かが又は役所が始末する、だから買主の知らぬ間に行方不明となるのです、このように判断しています。
先日私に起きた出来事です、工業団地の傍の道路で白と茶の猫がうつむけに倒れていました、車の行きかいが激しい為停車を諦めて役所の担当部署へ連絡を入れました、
それでも連れに来る間に後続車あるいは対向車に撥ねられる確率は高い訳です、しばらく置いておけば買主は近くの家と考えられますので見つけることができるかもしれません、
逆に何回もはねられて無残な姿になるかも知れません、私の結論は買主には申し訳ないが役所に引き取ってもらうと言う事でした、その後、担当者に連絡を入れたら交通車両が用心して、それ以上の事態はなかったことを聞き安堵した次第です。
人として愛猫の死は想像したくありませんが、状況を判断して最悪の事態も考えておく必要があります、永久の別れは辛いものです、先に経験した私のせめてもの慰めだと受け取っていただければ幸いです。
ひよっこり帰ってくる事態もありますので希望を捨てないことも大切です、杞憂に終わることを願いながら、覚悟もどこかに持っておいてください。
「タビ-ちゃん、遠足終えたらお父さん、お母さんの元へ帰るんだよ、あったかいご飯を炊いてお母さん待っているよ、ニャンのところへ行くのはずっと後でいいからね。」
元気を出してください。