敬老の日に思う
世の中が大きく変わって人の情も廃れて来た、私たちの幼い頃の片田舎は木造建ての小さな公民館で村の青年団がお年寄りの為に演芸会を催していた。
記憶に残る場面に、現在80半ばを迎えた姉の人形浄瑠璃の「傾城阿波の鳴門)の一場面を思い出す、
阿波の十郎兵衛・お弓夫婦の娘、巡礼姿の娘お鶴の役を演じた姉は、その健気なお鶴役を見初められて村内の男性と結婚に至った。
兄弟姉妹の多かった私だが近い身内ではこの姉と弟2人が健在である、コロナの状況を見定めて会いに帰りたいと思っている。
私が山のお母さんと慕う女性がいる、昨夜ご長男と電話で話しあったが、95歳を迎え施設で過ごされていたが体調を崩されて松山市内の病院へ転院された。
お逢いしたいお人だが、どこも同じで見舞いが限られて逢えない、ご長女からの丁重なメールが来たが、私の素直な気持ちをお伝えしたところである。
敬老会、慰労会等、田舎ではこうして先人の努力、苦労を称えて祝ったものであるが次第にそのような風習も消えようとしている、日本古来の伝統がここにも風前の灯になろうとしている残念です。
そして秋分の日がやって来る、私と家族にとっては今も引き継ぐお墓まいりの日である、コロナ禍の田舎をおもんぱかって今年も自重して帰らない。
ご先祖さまには我が家の小さな仏前にご報告することになる。
生かされる身と先立たれたご先祖さま、その橋渡しが墓地であり菩提寺、家に設えた仏壇である、毎朝、御茶等を挙げてロウソクお線香を手向ける、家族には無言で御先祖様への敬愛を示している。
日本は、良い国である、諸外国に比しても立派な国である、
日本の伝統を嫌う者たちによって、政治、経済はゆうに及ばず人間関係をも壊そうとしている。
先般、現在もマスコミを賑わす自民党総裁選報道にその歪な姿があからさまに展開している、それでも日本人か ?
備えなき国、軍事力で自立できない国と国民に豊かな明日は有り得ない、討論会での各候補の発言を振り返ってみてください、
彼や彼女たちは何を言っているのか、手足をもがれた備え、強固な自衛手段を訴えるのは誰か、各人の言葉に現れている。
生存とは、平和とは、決して善意の諸国が与えてくれるものでは有りません、あくまでも国を守る気構えの国民の意思があってこそ成し遂げられる。
子供時代の弱虫は常に泣かされどうし !
苛められても反撃できない弱虫だからガキどもは図に乗って来る、
武器を手にした者へは (例えば武道修得) 手出しをしない
反撃のキツさを思うとガキどもは手出しが出来ないのである。
これが反日国家と日本との関係、一発の核で国家が消滅する危うい日本の国、いかに防衛が大切かお分かりでしょう !
豊かな生活、何でも話せる自由、それは安全な国の形が在ってこそ。
国を守ること、存続させること、いかに厳しいことか、国民よ目覚めよ !
誰が総理に適任か、その重みを知るのは誰なのか、綺麗事に騙されるな !?