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人生

明るく行こうぜ

明るく行こうぜ

同級生の中で一番陰気臭い無口な男が、陽気な楽天家に変わったのは何故か   ?孤独に沈む人のために話してみましょう。

やはり育った環境は無視できません、親の性格と生き方、その家族のあり様、それが隣近所、村の集合体へと影響を受ける社会が広がって行く、学校生活から受ける諸経験がさらに肉付けされる。

大家族の中の孤独、多忙な親に一人一人の子供の面倒は見きれない、自然に自分のことは自分で片付けなくてはならないことを教わる、だから、早くして自立への訓練が始まったのである。

3月生まれもあって当時の世相では4月生まれの同級生とは1年の隔たりは大きかった、私は全てにおいてオクテだった。

松濤館流空手道との出会い、明空館明星先生との出会いが幸運を呼び込んだ、私にとっては兄、父のような存在で、強い肉体と精神力を授けて頂いた恩人である、その言葉1つ1つが情のある師であった。

長く続けたかったが家庭の事情で帰郷せざるを得なくなる、そこで門を叩いたのが糸東流の舛田先生、同級生の5歳違いの従兄弟、桁違いの強さと技師だった、その性格と生き方に全人生が感化される。

明るく強い男の誕生に結びつく、相手を差別することもなく真摯に向き合う人だった、その人柄が私の性格形成の基本になる楽天家の誕生だった、人との出会いが、その良し悪しが終生影響する。

小柄な身体、勉強、対人関係、全てのコンプレックスが氷解したのである。

自信がつくと、別に先手を取らなくても受けで十分間に合う、だから動じない私の青春が花開くことになる、その時得た友情が終生に渡って私の血と肉になった、人の出会いの大切さである。

25歳から始まった水商売の経験がさらに精神力の強化に役立った、良いお客さんがいる反面、当然悪い人もいる、その人間関係が胆力の強化に役立った。

自信がつくと粋がる必要はない、ゆっくり受けて間に合う、心の余裕が表情に現れる、陽気な楽天家の誕生である、心に余裕、相手への笑顔、私の性格が変わった。

「同級生でお前が一番変わった  !」大阪で水商売で苦労した幼馴染の言葉である、彼は茨木で根を下ろしている。

何事も悪い方に取る人の側にいると貧乏神がニヤリと笑う ?  福の神が顔をシカメて遠ざかる、特に女が逃げて行く、男は明るくなくっちゃ・・・ネ  !

我まだ発展途上  !  寿命の先延ばし、お迎えは後100年待ってよ、する事が多すぎる、あとは内緒だよ。

明るく行こうぜ   !?

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