今年最後の土曜日
もうひとつの土曜日があっという間に通り過ぎた、振り返る余裕もなく年末の慌しさに翻弄される。
年齢とともに責任ある仕事が肩に重くのしかかる、一人二人と竹馬の友がそして大切な仕事のパートナー達が黄泉の国へ招かれる、これが世の習いなのか ?
侘しさと迫り来る日の終焉に身構えながらも達観する自分がいる「なるようになるさ!」尊敬するコスモスさんの好んだ言葉、その人の消息が途絶えて久しい。
いろんな啓蒙を授かったお姉様だった、お元気である事を願って在りし日を偲んでいる。
その地は日本の国境の島、どう猛な隣人に常に威嚇懐柔を受ける悲しみの地でもある、その地で安穏とする人に外の大嵐は感じられない、だから哀しみの地なのである。
日本は内も外も不確定な自然現象に苛まれる、人災であり自然の猛威である。
外に対する政治の腰が定まらない、現在の世界情勢を考えると日本の進路は確たるパートナーが必要である、アメリカか中国か、歴史を振り返れば小学生でも分かる事である。
自由を尊重して民主の意見を取り上げる民主主義の国々、異なる意見を抑え込む共産主義の国、独裁になりがちなのが国民にとっての悲劇。
統治に於いてのアメリカ民主主義の甘さ、力で国民を抑え込む共産党独裁中国の怖さ、岸田政権よどちらが自由の幅があるか、パートナーとするのはどちらなのか答えは明快に出さなければならない。!
私は、安倍晋三元首相の中国警戒論は的を得ていると思う。
国を指導する者は狭義な主義主張に陥ってはならない、選択に曖昧さは一番嫌われる。
「あいつは信用できない!」今、隣国が国外国内にかかわらず指弾されている、変わり身の早さ政治の世界でよく聞く風見鶏、独裁国家に毒された政治の危うさは命を賭して償う事になる。
一時の損得に左右されるな、子々孫々日本は信用に足りる国、誉れる国でありたい、日本として賢明な方針を示すべきであり、特に独裁国家に対してはイエスノウを明快に伝える事である。
曖昧さが国を誤らせる !?