海の日の濁流
各地で大雨の被害が伝えられる、テレビの画面を通じて濁流が道路を宅地を飲み込むさまは人間の本来はこのように弱くて脆いものだと認識させられる。
今日は海の日、我が思い出の故郷の海は綺麗事を排して 陸に向かって隆起する魔物だった、私が知り得るだけでも同年代の子供たちが数名海に転落して亡くなった。
親兄弟の悲しみと幼くして命を亡くする哀れさに世の非情を嘆いたものである、この歳になってもあの子供たちの運命が愛しくて可哀想である、瞼の向こうに泣き顔と笑顔を見せる。
元気なイケズがいた、反対に友の陰で控えたおとなしい子供がいた、運命の皮肉に生死が別れた !
「生きていればなア !」私の彼らへの想いである。
各地の大雨被害は何処に向くか知れない、予測が困難なだけに各人の予防策にすがるしかない。
うだるような暑さに辟易していたのは、この今だった、なのに濁流に慄く今を想像だにできなかった、突然の安倍元総理の死去をお天道様が悼みお怒りになったのだと私は受け取っている。
山上容疑者の勝手な解釈で、世界が認める指導者がこの世を去った、天からの涙雨が、我慢に抗しきれず大粒の涙の雨を降らせている。
テレビに映る識者たちが、偉大な指導者を偲んで泪を滲ませていた、誠に惜しいお人を亡くしたものである。
日本人は死者に鞭打たない、それでも特定マスコミ等が懲りずに鞭打っている、温厚な日本人といえどいずれ怒りを現すだろう。
日本人をなめたら怖いぞ、高等教育を受けた者と日陰に甘んじた真の日本人を同一に見ると予測が外れる、怒り金時 !
幼いながらに安倍晋三元総理大臣を長い列に並んで見送った少年たち、 彼らに日本の不逞の輩の死者に鞭打つ悪行がどう映っているか、愛国心 の芽生えを侮らないことである。
海の日の濁流 !?