家族の団欒と勘違い
12月も半ばになると寒さが殊の外厳しい、喪中見舞の数に流石の私しも気持ちが萎えそうになる、関係者との付き合いを考えると胸が塞がる。
だから返事を出したいのに思い出がそれ躊躇させる、別れとは残酷な責苦、孤独な人生を選んでいればこのような惜別感はなかったものを、心が萎える。
新年を迎えるにあたり今年の仕事は年末までに済ませたい、にじり鉢巻でかじりついている、クライアントもいろんなタイプの人がいる、几帳面な人ほど気むづかしい、そして難題等注文も多い。
同業者などの悩みは、どう対応したら良いのかと言うものである、私の場合は至極簡単である、当然礼儀作法をナオザリにしてはならないが、余分に媚びる必要もない。
報酬にこだわると役所に迷惑を掛けることにもなる、銭金では有りません、法律に背かないこと、時と場合には仕事を断る、「他の人にお願いして下さい」若い人はなかなか難しでしょうが断る勇気も必要です。
違法に手を染めない事、私の長年培ってきた信念です。
家族の団欒、これに悩んでる人の多い事、私も現在相談を受けていますが、私にも過去に経験した事なのです。
親子の諍い ! 家族の中の信頼関係と当事者(息子或いは父親)の世間との信頼関係の違い、得てして反抗期の息子は父親を軽く見がちである。
経験の浅い息子が父親を軽く見るところに誤解と反発が生じる、特に夫婦(両親)の関係が険悪だと息子の反抗は増幅する。
息子に父親の悪口を言わない、これのできない母親のいかに多いことか ? 日本人の不幸なところです。
私の心の隅に夫婦平等に反発する思いがあるのは、母親の心の狭さから来ている。
父親の威厳 !
私もそうだが、家族には金銭だけでなく、何かと苦労かけている、その後ろめたさが、家族に強く言えないところである、経験の浅い(息子) が勘違いして父親を軽く見る、そこに父親に刃向かう無礼が生じる。
私が武道系にシンパシーを感じるのは、(間違った方法かもしれないが?)力でねじ伏せる父親古来の生き様が有っても良いと考えるからである。
いづれ相談者家族と膝を付き合わすが父親に無礼な言動をすれば躊躇なく叱り飛ばすつもりである。
「何を舐めている !」
(本当は母親に言いたい言葉である。)
家族の団欒と勘違い !?