懺悔の先にあるもの
真夏を思わせる熱射がモロに車体を焦がす、窓を開けて居ても熱風は容赦なく吹き込む。
「暑い!」その上話題が暑すぎる ?
「全くやりきれんな・・・!」
つい先ほど聞いた話は、因果応報の切なさ、この歳になって敵を作りたくない私である。
「どうにかうまくおさまらないものか、誰か知恵を出してよ ?」
私の本音である。
幾たびか戦って来た経験から出る言葉だが、傷つく人を見たくない、それは予想外の時に重苦しくのしかかる。
2週間は関係者にとっては長い、そう長く苦しい、それを、年を越して耐えて来た人がいる、その時誰が肩に手をかけて励ましたか、出来なかったか。
それを今問われているのである、私はそれを本題とは別に注視している。
「程々にしなさい、晒し者にするな ?」
私の警告を聞き入れた者はいなかった、その痛みを自分のことのように受け取る者がいなかったのである。
無念で心苦しい幕引きだった、同じ仲間じゃないか、それほどまでにしなくても、私の切なる訴えは届かなかった。
その中心にいた者達は弱者の立場を汲み取ってやることが出来なかった、コロナ禍の中で季節は無情に過ぎて行った。
そして令和5年5月運命の月は我々に顔を覗かせて無言 !
なにも語らない、
そして今日を迎えて私は河川敷に目をやっている、あくまでも多数の人は他人の話、自分に火の粉は降り掛からないと思っている、残念で悲しいことだが他山の石が知らぬ間に我が身に忍び寄っていた。
私の疑念と恐れが当たらないことを願っている、お天道様の怒りが向けられないことを祈る、この世界に無事平穏なゴールが導かれますよう・・・。
人間は間違いを犯す生き物、善良な人間に生まれ変われるなら涙した人の悲しみも救われるだろう。
懺悔の先にあるもの・・・ 救い !?