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友情

喪中ハガキ 逢いたいと思われて 涙

年の暮れを迎える11月12月は各地から喪中ハガキが届く、この近日、
一枚二枚と郵便配達さんが届けてくれる。

生きている者にとって切ない知らせで、先般葬儀告別式を終えたばかりの
サ-クルの同士の奥さんからは丁寧な生前の様子も記されていた、
涙新たにしたところである。

そして、がん三兄弟と再会を喜んだ友の妻から7月30日死亡の喪中ハガキ
だった、愕然とする、もうひとりの友へ電話を入れた。

見送りは家族葬でひっそりと済ませたとのことである。
私が一番年長で最初に手術、私より6歳下の彼が次、電話の主が一番下で
手術も最後だった。

がんセンタ-の三兄弟と再会を喜んだのは数年前のことだった、物静かに人の
和を心がけた紳士だった、お訪ねしてお悔やみを申し述べたい。

残された家族の心境を思うと辛い、私は今自分の信念がぐらついている、がんを
手術したゆえに他のがん患者を見舞うことを控えているのであるが、それが ?

その訳は、私自身は寿命を悟って命の残り火を感じた時、見舞を芳としなかった、
相手への気配りと痩せていく姿を友達といえども見せたくなかったのである。
家族だけに見守られて死のう、今世の未練を断ち切った心構えだった。

それ故、がん病棟へ入院する友人知人への見舞は、一度きりと決めていたのである、
それが、ある後輩の奥さんからお悔やみに出向いた折、言われた言葉が心臓に突き
刺さった。

「Sさん、パパはSさんに逢いたかったと思いますよ!」 仏壇の後輩の遺影を前に
私は堪えきれない涙を流し続けた「許してくれ!」 私はその遺影に詫び続けた。

先般のサ-クル仲間もそうだった、こんなつまらない男でも、Sでも命の瀬戸際に
逢いたいと思ってくれる友がいた、大きな衝撃が私に後悔として襲い掛かっている。

寡黙な男達ほど私に逢いたいと云う、妻に伝えた者も居た、その悄然とした佇まい
の中に妻へ無言の内に知らせた友もいた。 命の最後に、残り火が消えかかる時、
このSに逢いたいと願ったという、今 私は心の内で詫び続けている、涙が溢れる。

友よ、〇〇よ! △△よ! 滂沱の涙とはこの事である。
男としてこんな果報はそう有るものではない、人生恨み辛みを受けることは当然ある、
しかし、一方このように思ってくれる人が居た。

これから年の暮れに向かって、喪中ハガキがどれ程届くだろうか、願うことなら
届いて欲しくない、縁を結んだ人との別れが涙とともに認識させられることになる。

出逢いと別れ、人生織り成す糸は、喜怒哀楽と言う色彩に織り成されていく、
何時の日か、彼らの元へ旅立つ時、やり終えた今生の思い出話を携えて意気揚々と
向かいたいと思う。

杉の子 本名 Y・U は 最後まで 男だったよ。  「押忍」

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