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思い出

因果応報 あの日泣いた男の・・・

冷たい雨が降っている、同士に依頼していた物を受け取るため
環状線を西下していた、街の中心部から南へ少し行くと地元
路面電車の高架に出会う、其処を通りながら30年前を思い出していた。

(人間の運という奴は不思議だな?) 「因果は巡る」 何とも切ない感慨に
浸っていた。
窓の外の雨粒が大きくなって寒さが更に身に堪えてきた。

四輪自動車だけでなく雨ガッパ姿の単車の姿も見える、しかし、
私が胸によみがえる自転車姿の人間はどこにも見当たらなかった。

30年前、幼い子供達を抱えて故郷を後にして県都に出てきた私は
共同経営者の甘言を疑念もなく受け入れて日々の貧乏に耐えていた。

情と言う切り離せないしがらみ、恩有る人の助けてやってくれとの
言葉に引きずられて、なけなしの貯金をはたいていた。

人生最大の試練は、身も心もずたずたに引き千切られて、辛い城下町
に立たされていた、
それは夢も希望も泡のように消し飛ぶほどのわびしさだった。

あの時、古い自転車に乗った私は、「なにくそ、なにくそ!」と歯を
食いしばってペダルを漕いでいた。

その高架を私の車は走っている、季節は流れて早30年が経過している、
主客転倒、人生の不思議がここに有る。

苦しんだ私は貧乏の代わりに沢山の人々の縁を頂いて今日笑顔の生活を
送ることが出来ている、その相方が今日の主人公である。

運命は皮肉にもその悲哀を分けた、冷たい雨の中自転車を漕いでいるのは
その相手なのである。

身体の不調と口にいえない不遇の中にある、この歴然とした現実は人間の業、
運命の帰結とはいえ余りに切ない。

私は受けた恩は、必ず返すことを心に念じて、そして少しずつ返していく、
今も、ひとりひとりに仕事を紹介して恩返しを心がけている。

人を助けるということは、いつかはその人が助けてくれる、人生というものは
決して奇をてらうものではない、真っ当に真面目に誠を尽くすものに最後は
微笑が帰ってくる、これは私の信念である。

その逆に、何処かの国のように恩を仇で返す人間は、いつかは必ずそのしっぺ
返しを食らう、世間はそれを「因果応報」と例える。

人の痛みに鈍感な者は、我が身が痛くなって初めて他者の痛みを知る、
しかし、その時は遅すぎる、後悔と言うジレンマは年老いていく身には辛い。

雨の中、果たして何を思うや ?
顔に落ち、肩を叩く冷たい雨に、その胸に去来するものは何だったであろうか?

せめてもの慰めは・・・
訪ねる役所の旧知の友が、数時間後一部始終を報告してくれた、私に縁の有る
人と言うだけで、かくも親切に耳を傾け助言を授けてくれたのである。

「心配いらないですよ何かあったら又来てください。」和む笑い声に救われる。
親友の情けは通じたはずである、人は戦うものだけではない、助け合うところに
幸せの扉が有る、たくさんの方々の縁を頂いた私の総括の言葉である。

冷たい雨、自転車を漕ぐ辛さは30年前の私、子を抱えた男の心は震えて泣いていた、
なにくそ! 郷土出身の若いプロ野球選手が以前テレビで語っているのを見た、
同じ負けじ魂の男が居る、私は無言でそれを眺めていた。

負けるな! 泣くな! いやたとえ泣いても! なげるな!? あの日泣いた男
の叱咤激励である。

「運が残っていれば、神様はチャンスを下さる」先般、私が彼に伝えた言葉である。

若い時は耐えられる苦労も、年老いた苦労は こたえる、だが逃げるな !?

この19日、昔、空手道場で切磋琢磨した友が、焼肉の店を新規開店する、柔と剛を
併せ持った人生最高の友である、会長になった彼と 松山支店の店長に電話した、
「いつでも応援に行きますから、困った時は連絡してください !?」

男の友情が枯れることはない、それが私の彼、会長に対する恩返しなのである。

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