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日常生活

地平線の彼方 空と海の狭間

地平線の彼方 空と海の狭間

11月も下旬を迎えて伊予灘は空と海の狭間が曖昧に霞んで
見えた、
何時もは蒼く輝く海原が何故か白い草原のように凪いで居た。

はるか地平線と空の境が曖昧に混ざって不思議なコントラスト
を呈していた。

今日の目的は、愛媛県大洲市に所在する真言宗御室派別格本山の寺院
「金山出石寺」へ参拝する。

霊峰金山出石寺は、1300年の法燈を伝える名刹で、町内外からの
参拝者も多い。

藤堂高虎が奉納したと伝えられる「銅鐘」は国指定の重要文化財であり、
また本堂にある「木造釈迦如来坐像」は県指定の有形となっている。

長浜から肱川あらしで名高い肘川を経由して上須戒~出石寺へと登る、
綺麗なアスファルト舗装も上に行く程に狭くなり、落ち葉が積み重なる
山道はきつかった。

出石寺真下の駐車場はお年寄りを乗せたマイクロバスや自家用車が10
台余り駐車していた。

参拝を終えて急な石段を用心しながら降りてくる人たちは皆さん一様に
晴れやかな挨拶を交わしていた。

暑くもなく寒くもない山頂は伊予灘を眺めて走った海沿いの道と変わらず
遠方の景色は靄のなかに霞んでいた。

遥か地平線は空との境目が判別できず白い不透明なロケ-ションに埋もれて
いた、雨天でもない、かといって晴天とはいえない今日の天候は珍しい
様相を見せて、私の心に問いかけていた。

20歳頃の、1週間に渡っての山篭りを思い出す、道着を着て素足で八丁坂
を駆け巡り、大木を叩いて空手の稽古に没頭した思い出は今でも鮮明に蘇る。

「懐かしいな!」 私の人生の大切な出発点だった、若さゆえの無茶もしたが
住職さん始め寺にお勤めのHさん達の薫陶を得て、男としての矜持を頂いた
場所だった。

空を眺め、地平線の彼方に想いを馳せる、私の癖は幼少の頃からの癖だったが
それは、閉ざされた片田舎の重圧に反発する少年の唯一の憧れだったのである。

あの空をずっと昇ると、そこには何があるのだろう? 果たして形あるものが
有るのだろうか?

あの地平線の彼方、見えない向こうにはどんな世界が広がっているのだろうか?
少年の見果てぬ夢は留まることを知らなかった。

総じて見ると、この疑問とその探究心は、人間の知恵と幅を育んでくれたような
気がする、近日、様々な悩みを聞き、助言を求められる身となって殊更その感
強くしている。

二次元 三次元 四次元の世界を比較すると人間同士でも違った側面がある事に
気が付く、ハッキリと区別できないまでも個々の能力、経験の差が端的に現れる。

今日の伊予灘は、私が日頃見たこともないロケ-ションを見せてくれた、
白波を蹴立てる青い海原が地平線に被さる空の白さと交じり合って白い草原を思
わせる、不思議な光景だった。

少年の夢、青年の願望、そして終着駅を迎える黄昏に、心静める想いを抱かせた。

山を下る傾斜地に黄金色に輝く蜜柑が収穫の車の音とともに目に飛び込んできた、
そこには、ふるさとの伝統を守り土とともに生きる農村の生業があった。

そんな風景が大好きで、私の想いは常に向いている、友が住む村、蜜柑の町、
私の原点であり原風景がそこに内包されている。

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