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雑談

そんなに粋がってどうする  仲良くしょうぜ

二十歳の青春は、涙ぐましい義侠心で世の中に対していた。
弱虫小僧が良き先輩、同輩に恵まれたことで進む道を見つけた。

強気をくじき弱気を助ける、それは彼の悲しい幼少の頃に遡る、
陰惨な先輩の虐めを見咎めて助けてくれる者はいなかった、
人間社会の理不尽をその頃から実感した子供だったのである。

悲しいひとりぽっちの孤独、耐えることを知り、紛らわせることを
求め続けた純情だったといえる、
今の時代に置き換えると危険な事件と隣り合わせの少年期だった。

小柄で非力な子供に抗する術はない、ただじっと耐える子供だった、
弱い者の悲哀をこれでもかと突きつけられた茨の道だったのである。
童謡を愛し、人間を愛する性格は、そんな悲しみの歴史から来ている。

人に依っては苛められたことを根に持って苛める側に回る人がいる、
それもひとつの帰結かもしれないが、そこには建設的な成長はない。

虐めを経験するだけに、自分が受けた悲しみを他人に与えてはならない、
そう思う男がいても不思議ではない、ここが日本人の良いところである。

出処進退は潔く、これが日本人の美徳だったはずだが、今の時代は
この清さが失われて久しい、教育と外国との交流の中で日本の良さが
失われて行く、動植物の世界で繰り広げられている弱肉強食の現実 !

先般、組織の総会後の懇親会の席で、ある支部の支部長と盃を交わした、
初めての出逢いである、お互い勿論名前を知っている、彼は現執行部の
役付き、冒頭 「S先生は空手の・・・」と言うのでやんわり否定した。

それでも「空手が・・・」と言うので、腰を落としてリップサ-ビスに
努めた、「少し日本舞踊をしていましたが ?」 隣でフルコンの3段が
にっこり笑って微笑んだ。

先日、「Sさん、総会行きますか ?」と電話してきた同士、その隣の
テ-ブルには合気道6段がこれまたにっこりと笑みを寄越した。

男の世界、武道家の矜持はことほど左様に謙虚である、その佇まいの中に
究極の作法が内包されている。

沖縄の空手道場で稽古に勤しむ人がインタビュ-に答えた言葉、(動画)
「私は、空手を喧嘩の道具に使いません、一生喧嘩をしません。」
私の魂を揺すぶられた言葉だった。 肝に銘じた言葉である。

いずれ私が接する空手家たちの動静をご紹介したいと思う。

私への究極の褒め言葉・・・
「Sさん、もしかしてあっちの方 ( 女形 ) ?」 ここまで演じられたら、
男として勲章ものだろう ?

振り返ること、私が高校生の頃・・・
若い男前のやさしい先生がいた、見るからに女形の先生だった・・・が ?
実は少林寺拳法の有段者だった、男とは、何ぞや? 日本人の奥ゆかしさが
仄見えた昭和の世だった。

たまに勘違いしてくる人がいる、私は静かに聞いている、その言葉の端端で
その怒った表情で、その人の真実が見えてくる、心が表れる、肝っ玉の大小も
見えてくる。

人間って悲しい生き物、怒られるほうが冷静で怒るほうが我を忘れて取り乱す。
世の中は面白い、人の世は切ない、短い命じゃないか、仲良くしょうぜ !?

「押忍」

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