自分を語らないものは、人も語ってはくれない、
これは私の持論だが、勿論、語れない胸の内を察して
あげることも必要である。
その場の空気、呼吸を読み取る配慮が必要なのは言う
までもない、我が身を語ることで相手も安心するのか
語り始めることが往々にある。
この頃特に不思議に思うのは人との縁についてである、
それも感動の伴う思い出につながって来るから面白い。
私の携帯の登録数は800人に近づいた、これは、必要に
迫られた人数であって、入れようと思えば軽く1000人を
越える。
大企業の営業マンやスボーツ、芸能関係のスター達なら
普通の話だろうが、四国の田舎で生活する身ではどうか、
そこに出会いの感動を味わうサプライズがある。
紐解いてみよう ?
私は現役の行政書士、一家言を持った頑固者、自称他称!
だから、初めて会う人との出会いが頻繁にある、
その場で、過去の縁が繋がってくる、感動の幕開きである。
その場を和ませる為に自分をさらけ出すところから始める、
私が育った田舎の話「誰かお知り合いの方いますか ?」
狭い愛媛県のことだ、一人ぐらい知り合いなり親戚がいる。
話はここから面白おかしく展開する、これが不思議です、
私が歩んだ人生が、その過去が鮮明に蘇る、無駄な人生で
無かった、いろんな糸が複雑に絡み合って今に続いている。
この頃では、確率50%以上の割合でいや3分の2の確率で、
初対面の人であっても過去に出会った人につながっている、
考えてみればこれは凄い事なのだと我ながら感心している。
試しに皆さんも自分の身の回りを振り返って見てください、
初めて出会った人の周囲に知り合いが居るかどうか ?
3分の1に届くかどうか?多分居ないのではないでしょうか。
私を好意に見る人は何パーセント居るか、逆に不快な念で見て
いた人も結構いる筈である、
人生の縮図は、反面感動的なマクロの世界も覗かせてくれる。
薄曇りの日曜日仕事で駆け回る私の胸に去来するものがある、
出会いの反対語 別れ、それは嗚咽と共に朝早くもたらされた、
「・・・ が亡くなった!」
別れが来て、その人のありがたさを知る、何度繰り返される
人生のドラマであろうか、訪問先で笑顔と饒舌、哀しみを抑
える男の胸に去来するものは・・・?
海の果てに沈む太陽、茜色に染まる夕陽の景色だった。
「ご飯ですよ!」 遠くで子供達を呼ぶ声、
村の有線放送の童謡・唱歌が、景色に溶け込んで流れてきた。
~里の秋~ 白鳥英美子
寂れた四国の片田舎 海辺に在るその村は
半農半漁の寒村で 日々の生業を細々続けていた
子沢山の 貧乏百姓の長男長女は 大変な苦労を
余儀なくされた
自分の人生を犠牲にして 妹弟達の為に身を粉にした
大切な 大事な そんな女性が 今朝 息を引き取った
童謡・唱歌の世界 兄弟姉妹の 1ペ-ジに終止符が
打たれた
この世よりも あの世のほうが 賑やかになった
今世に別れを告げて ひとり黄泉の国に向った その人は
大正も最後の年に生まれた女性だった
私を大切に慈しんでくれたひとだった
両親の代わりに 我々の行く末を見守ってくれた
それはまるで 役目を終えたかのように 天に召された
星空に 又ひとつ 輝く星が生まれた
私の大切な星が・・・頭上で輝く
合掌