私は薄曇りの土曜日その街1番の繁華街銀天街に足を向けた、
午後1時半昼食を終えた者、食事に余念のないカップル達を
横目で見ながら散策していた。
いつもの薬局で目当ての栄養剤を購入し後は銀ぶらと洒落た
のである、
東に向かって長い商店街を進み左手のこじんまりとした
ブティックの入り口に視線が止まった。
ひとりの若い女性が入り口に陳列している品々を胸の前に
かざして品定めをしていた。
その横顔に見覚えがあった、いや見覚えがあるように感じた ?
「恭子!」遠い追憶が蘇ってきた。
それは、はるか昔になったが昭和が終焉を迎えようとする年の
前の晩秋の事だった、
ひとりの少女がY市の小さな駅から列車に乗った、
準急列車は四国高松で関西汽船の連絡船に乗り換える、船の着く
宇野からは又汽車に乗り換えて東京に向かう、長旅の時代だった。
彼女の名は、恭子、
父親が経営する建設会社が親切を装って近づいてきたブローカーに
騙されて保証人となり倒産の憂き目にあったのである、
連日押しかけてくる借金取りに家族は苦しめられた、そんな中母親は
なけなしの金を握らせて恭子を東京にいる親族へ託したのである。
天皇陛下が崩御され年号が平成に代わった、私の人生も荒波に翻弄
される事になり、過去の記憶から遠ざかって行った。
二人は清らかな友情を育んでいた、出来れば将来結婚したい、その
願いも、大人のしがらみの中で引き離される事になった。
銀天街のブティック前、
私は数分間彼女の仕草を眺めていた、中から中年の女性が大きな
袋を提げて出てきた、表にいる女性に笑顔で話しかけた ?
( ああ! もしかして ? ) その母親らしき女性は、あの時東京に
発った恭子 その人であった、私が思いきり声かけた事で判明した。
驚きの表情で彼女は困惑したが、私の私心なき問いかけで安心した
のか笑みを見せた。
彼女は娘に、「昔 田舎でとなり同士だったお兄さんよ !」
それを聞いた娘は、「こんにちは」爽やかな挨拶で答えてくれた。
気のせく立ち話、
東京に向かった恭子は母の姉 伯母の家で教育を終えると自立した、
勤務先の先輩と恋に落ちて結婚する、ささやかな幸せ、育む愛、
「Sさん、私は幸せですよ! あなたの家庭は ?」
それには答えず「ありがとう! 元気でね・・・」私は笑顔を返した。
母娘ふたりの笑顔に見送られて銀天街を西に下った、
そこには苦労かけ続けの妻が待っている、喫茶店で美味いコーヒー
を飲もうとささやかな約束をしていたのである。
( 高校時代の親友の実話をヒントになぞって見ました。)
初恋は、人を好きになる事は、人間を純な頃に戻らせる、男女の仲は
いつの世も 切ない。
一日限りの恋の歌
二人の世界 石原裕次郎