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雑談

愛しきものそれは名刺、 ただ一つの武器

その屋台は底の浅い巾1メートルほどの溝のそばに建っていた、

繁華街から南へ少し寄った市道の脇に位置している、
古ぼけた街灯の淡い橙色の光が遠慮気味に屋台を照らしていた。

小さな5人がけのカウンターに両脇と真ん中にお客が並んでいる、
二人のチンピラ風が暖簾を乱暴に押し分けて入って来た、

それを見た右隅に座っている老人が席を譲るように立ち上がった、
「おあいそ して?」 ( お代は幾ら ?) 「ああもう帰るの?」

屋台のオヤジが真ん中の若いサラーリーマンにビールをお酌しな
がら言った、「今日から孫の新学期、お祝いを買って帰るのよ!」

「やさしいね、それじゃ〜1500円頂きます」 老人は手早く代金を
渡して店をでた、

店の横に止めていた自転車にまたがろうとしたその時、店の中から
怒号とガラスの割れる音がした、「野郎 ! 舐めるんじゃねえ・・」

老人の体が素早く動いた、「どうした、オヤジさん ?」
チンピラ二人が仁王立ち、ひとりの右手に底の割れたビール瓶が
握られていた。

オヤジさんの姿が見えない、カウンターの下から呻き声が聞こえた、
オヤジさんは頭から血を流して震えていた、

地回りのチンピラに難題を吹っかけられたが丁重に断った主人に
激昂して乱暴狼藉に及んだのである。

老人は二人を諭すように語りかけた、それを素直に聞く若者なら
暴力沙汰には至らない、聞く耳があるはずはない。

「表に出ろ !」 お決まりの罵声と鬼の形相が老人の顔面に迫った。

店に居た二人の客は震いながらも携帯の番号を押している、
ところが手が震えて110番に繋がらない・・・?

老人の手に奇妙なものが握られている、先ほど若い会社員の客と
挨拶を交わした際に貰った名刺である。

チンピラは、ひとりは180に近い大男、もう一人は160程の小男、
案の定、大きいのが前に出て来た、その段になると二人とも無言、

大男の右のパンチが真っ直ぐ伸びて来た、老人の顔面、鼻柱を
狙って来たのである、

老人の左肩がやや後方にさがった、右手に握った名刺が甲を下に
左に一閃目も止まらぬ早さで走った、名刺がカミソリに変わった。

大男の口から「アッ !」声にならない声が漏れた、数秒して大男の
左頬から真っ赤な血が吹き出して来た。

状況に依って目を狙う、貫手が目に行くように、両眼を真横に払う、
それは一瞬、最悪の場合は失明する、だから名刺は禁じ手なのだ。

老人は、チンピラに目もくれず二人の客に声を掛けた、
「店のオヤジさんを見てあげて、病院と警察への連絡頼むよ !
ああ! それからせっかくの名刺ごめんよ ?」

そう言うと自転車にまたがって路地裏へ消えた。

名刺、たかが名刺、されど名刺、Sの愛しむ名刺、
若干頬に怪我はさせるが、喧嘩の抑止力にはなる武器である、

殴り合いまでは、関節技には及ばないものの、相手を静止するには
良い塩梅、たまにはいいか !

オヤジの被害状況を見て無傷での静止はやめた、少し痛める方法を
選んだのである。

老人だって気力はある、誠を貫く正義はある、喧嘩しない事が1番。
だが、身を守らなきゃ元も子もない、弱い者を苛めない事である。

押忍

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