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雑談

明日を夢見て 男よ泣くな

男とは何ゆえに耐えねば為らぬのか、全責任を負い荒野を進む、
あの日、切磋琢磨した男達は未知の山に上り詰めただろうか ?

途中リタイア又は挫折に我が身の無力を責めた友よ、そう自分を
苛めるな、良くやったじゃないか !

あの汗と涙は、この俺が一番よく知っている、そんなに責めるな、

懐かしい友から便りが届いた・・・
都会の雑踏に踏ん張って生きていた、初老を迎えたあいつは、俺の
元に再び戻ってきた。

随分昔になる、私がまだ若い頃の話である、
私よりもずっと若い男がいた、先輩達に可愛がられて
仕事を真面目にこなしていた、素朴で明るい男だった。

その町工場は既存の会社を買収して海産物を製造販売
していた。

既存の会社は昔からの手作業で家内工業の親方達数名
が集まって共同経営していたが時流に乗れなく経営が
困難となって買収されたものである。

不幸だったことは経営を円滑に進めるために彼らの
技術と経験を期待して雇用した経営陣の思惑が見事に
外れたことだった。

私が職人肌に今だに違和感を感じる原因がこの時の
経験に負う、頑固な職人気質は素人経営陣と融合する
筈もなかった。

私は、新たな可能性を求めて会社を辞めた、

数年を待たずその会社は倒産した、なるべくして
なった倒産劇、しかし罪のない従業員は冷たい世間に
放り出されることになった。

自分のことで精一杯の私は彼らの動静を知る由もなく
月日だけを数えて過ぎた。

有る年の暮れ、テレビに関西の有る都市で細々町工場を
経営するという経営者のインタビューが映されていた。

初めは気がつかなかったが、私の出身地が故郷だと話して
いる、数十年の思い出が蘇って来た、微かに面影を残して
いるが紛れもなく彼の姿だった。

彼の業種も御多分に洩れず人件費の安い海外に進出して
国内空洞化が進んで経営環境の厳しさを招いている、
廃業を選択せざるを得ないと苦渋の決断を述べていた。

再会は、偶然の産物で実現する、知人の息子の結婚式で
感激の再会となった、

彼の語る世界と経営は、涙なくして聞けない理不尽がまかり
通る社会だった、素朴な田舎人間には世知辛い街だった。

よくやったじゃないか、少しも恥じることはない胸を張って
良いよ ! ご苦労さん、

彼は、今、妻の実家の海産物製造販売の仕事を手伝っている、

あの青年時代の手慣れた仕事に生きがいを見つけたのである。

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