私は普通の人では叶わなかったと思われる多くの出逢いがあった。
足跡を振り返る年齢になって、折を見てそれぞれ思い出を拾っている。
若い頃は、どうしても殺伐とした男同士の出逢いが中心になる、
数多くの個性の強い面々が現れてそして霧の彼方へ消えて行った。
八幡浜港岸壁、フェリ-埠頭の景色が追憶の彼方より鮮明に現れてくる、
夜店を終えると懇意な先輩のバスラ-メンの店へ繰り出して疲れを癒した、
男同士の心意気、その内に、きらびやかな淑女達の恋物語が彩りを添えた。
それぞれの店を終えてお客さん同伴で夜の蝶たちが繰り出してくる、
華やいだ女性同士の鞘当もあり、港町の夜は深夜まで嬌声で賑わった。
フェリ-乗り場横には魚市場があり、早朝からせりの声が魚介類を満載の
漁船のエンジン音に負けまいと、勇壮に飛び交った。
「バシッ!」 強烈な右フックがAの頬に炸裂した・・・
声もなくAは膝から崩れ落ちた、「野郎!図に乗りやがって」Bがひと言
捨てゼリフを吐いた !
「おいおい! だからやめよと言ったのに ?」Bの連れが崩れたAを抱き
止めて愚痴った。
Bのめったに見られない右フック、他の男たちの前では饒舌なBだが、何故か
私には弟のように接してくれる義理堅い硬骨漢だった。
長男だが束縛を嫌う性格と奔放な生き方で、親父の漁は三男に譲っていた、
すぐ下の弟Cは、体が弱いこともあって控えめな性格の好男子、私とは気が
あってよく語り合ったものである。
その彼が、不治の病にかかって市立病院に入院した、期せずして私の姉も同じ
病で少し隔てた病室に入院した、
狭くて古い六人部屋に入れられた姉は抗がん剤の副作用で苦しんでいた、
それを見かねて個室に居たCは部屋代えを申し出てくれた、お陰で姉の看病が
心置きなく出来る事になり私達は彼の好意に感謝した。
そのCは自分の余命僅かなことを悟って淡々と治療を受けていた、何か手芸の
ようなものに気を紛らわせていたが、ほどなく様態が悪化して死出の旅に出た。
私のブログ友達のLさんの風光明媚な写真に、彼の眠る村が青い海原の中に
浮かんでいる、彼が何かを語るように私に問いかける、生きていれば60半ば
20才を僅かに過ぎた年齢では余りに若すぎた、命の儚さを思い知らされた。
彼の前に母は亡くなっていた、人柄の優しい彼の事だから、母さんに逢いたい
傍に居てあげたい、その想いが黄泉の国へ向かわせたのではないかと思う。
合掌。
私が松山に転居してBと逢う機会は途絶えた、逢いたい、逢ってその後の人生を
聞いて見たい、男の所作、あの夜の右フック、パンチの切れと崩れるAの姿が
スローモーションの世界で脳裏から消えない、義理と人情を併せ持った男だった。
男達の挽歌 男の心意気 Bよ !?