出会いと別れ
私が生まれて以来現在までの人生において、巡り合った人の数はどれほどになるのだろうか、この頃ふっと想いを致すようになった。
ずい分、出会いと別れがあった、仕事の変遷が有っただけに、その数は多くなった訳である。
おとなしくて人見知りの幼少期からやんちゃな青年期を比較してみるとずい分交友関係は広まっている、それは、別れた数も正比例するという事になる。
住む場所が変わることによって更に出会いと別れは多くなった。
この頃不思議でならないのは、長い期間離れていた人との再会である、二度と会えない人がいるかと思うと、再び巡り会う運命のひとがいる。これはどう表現したら良いのだろうか ?
若い頃に出会った人、浦島太郎の歳月、「なる程、さもありなん」と思う人が入れば、反対に「ええっ! 亡くなったの ?」 それもずい分前に ?
それぞれの人生を聞かされると、あの人だったらそうだろうな !努力家だったもの! 出世した筈だ !そうか、芽が出ないで苦労したんだね ! 気の毒に !
若かりし頃の青年の顔がクローズアップされる、静かに思い起こしてみると一定の方程式がある事に気がつく ?
個人情報保護法との絡みで口に出す事は控えるが、長生きと短命何となく見えてくるようである。
昨日の国会中継を観て、日本では一番の出世頭である財務省の高級官僚、俗に言うキャリア官僚の国会招致は、社会の底辺にいる我が身を振り返らせてくれた。
普通の庶民なら、ここでアウトになるだろうに、嵐が過ぎれば身の施し方が準備されている。
しかし私は憎いとも羨ましいとも思わない、彼らは一般の子供より必死に勉強したんだから、良いポストと生活の安定を約束されて当たり前である、そのように考えて納得するようにしている。
私のポリシー
人を羨まない !
悔しいとも思わない ?
彼らの努力の賜物だもの !
祝福こそすれ下げすむ事などあり得ない、当然の帰結です。
戦い破れて日が暮れて、羽を休めに帰ります、人を羨む妬みを持つと言う事は、精神衛生上にも良いことではない。
人を見て励むのなら良いが、その逆は救いようがない、だから私は、「良かった! おめでとう!」 と祝福する。
文章で口汚く表現するのは愛国心を基本に考える私の悪い癖、けして人格全てを否定するものではないのでご容赦願います。