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思い出

命を見つめて

我が家の正月は、
命を見つめる時との戦いとなった。

平成9年冬・・・
親しくしている土地家屋調査士のK先生が
「Sさん、奥歯が一本足らない子犬だが(柴犬)
要るんだったらあげるよ」 と言ってくれた。

その1年半ほど前に、我が家の近くの土手を散歩中
心ない人間の毒餌を食べて愛犬のマキが亡くなった。

それ以来、マキを助けてやることができなかった
トラウマで犬を飼う事ができなかったのである。

ご好意に甘えて、彼の元を訪ねた、
大型の犬小屋の中に柴犬の母娘がいた、
我が家の一員となるマルとの出会いであった。

50分の道のりを私は、まだ名前のない子犬と
帰った、
おとなしい犬でその間一度として泣かなかった。

当時の村役場に出世届けを出した、
名前は、柴犬のマル
誕生日は、平成9年10月15日

飼い主の生活の紆余曲折の中でマルの人生が
始まった、
家の中で飼う事にした。

家人が仕事その他で家を出ようとすると
部屋のガラス窓越しに寂しげな表情を見せて
悲しがった。

特に長男にはなついて彼の後ろ姿を追った、
彼の布団の中へ入れてもらうのが嬉しかった。

9年後、小型犬のCCが我が家に来てからマル
の立場が微妙になった、
CCも長男になついて独占するようになったのである。

愛情をCCに取られたと思い、おとなしいマルは一歩
引いて寂しげに長男とCCを眺めることになった。

この一年、マルの体調が悪化した、
緑内障、鼻も耳もおぼつかなくなって来た、
その後に来る痴呆症状、マルの人生が暗転する。

身体の不自由は、生活のリズムがゆがむ ?
陽気な表情が次第に暗くなって行った。

そんな中で、昨年10月15日の誕生日を迎えた、
マル、満17才の誕生日であった、
いつか来る、別れの予感に怯える私がいた。

「マルちゃん、誕生日おめでとう!」
祝福の言葉を彼女に伝えた、人間であれば
90~100才ぐらいのおばあちゃんである。

この数週間、体調の衰え著しいマルを複雑な気持ちで
眺めていた。

恐れていたものは、予想以上の早さで近寄って来た、
食卓の椅子に絡まり身動きできない、
廊下から玄関に落ちる、
部屋を動く度、所構わず体を打ち付ける、
痴呆が追い打ちを掛け、
そして、トイレの問題が重なる。

決断の時が来た、
玄関にゲージを据えてマルの居場所とした。

ゲージ内を動き回るその姿に胸が締め付けられた。

年末からの数日間は、
身体の不調 (痛み) との闘いになった、その姿は
家人にとっては、責め苦に等しかった。

正月は、マルの症状に一喜一憂する事態となった、
ゲージ内でもがくようになった、奇声を発する、
家人交互で見守る事になる。

痛みに見兼ねて昨夜の食事はやめにした、
一晩中泣き続ける、
今朝、少しまどろんでいるが、泣き声が弱くなった。

豆乳を布で浸して口に湿らせてやった
多量に与えると喉を詰まらせる恐れがある、

午後次第に意識が弱くなってきた、
私達も覚悟を決める時期を悟った。

夜、長男が帰ってきて、
様子の一変したマルの身体にしばらく手をやっていた、
長男が家を出ると、
私は、耳元へ口を寄せて言った・・・
「マルちゃん、良かったね! T君、帰ってきたね、
判ったかい!」

意識のない筈のマルが反応した、
顔を震わせて動揺したのである、

小さい頃、CCに長男を独占されて
見た目にも可哀想なほど寂しげな表情を見せたマルが
ようやく取り戻した長男の愛情、
余程嬉しかったのではないだろうか。

私は、いまわの際のマルの心根に感動していた。

今まで、無表情、無意識に思えたマルが、
薄目を明けて口を動かせている、
子犬の頃の小さな泣き声をあげている。

平成27年正月
かけがえのない、命の灯を見つめている。

リビングの暖かい絨毯の上に寝床を作り
マルを寝かせている、
その横で私も横になって添い寝をしている。

我が家庭、家族にとってかけがえのない存在だった、
天命を全うさせてやれる事がせめてもの慰めである。

命、それは、人も他の動物も等しく尊いもの、

命を見つめて。

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