悲しい子だった、
「ほかの友達にはお父さんがいるのに僕には何故いないの ?」学校から帰ったその子の頬に、涙の後が滲んでいた。
母は、黙って子供の身体を抱きしめた 「ごめんよ !」明るく振舞う母は、障子の陰に隠れて涙を拭った。
子供2人母1人、物寂しい夕餉の膳に贅沢な品はなかった、「お父さんが居れば !」子供の愚痴を聞くほどに母は胸をかきむしられた。
やがてお姉ちゃんが母の痛い胸を知るようになる、それからだった姉弟の口から父を乞う声は聞かれなくなった。
夏の日のその家庭に蚊取り線香は無かった、田舎の畦道には所々に水溜りが在る、子供達にとっては格好の遊び場も、その子の家にとっては困った蚊の産卵の場所だった。
その子は物静かな子供になった、母の愛情は姉弟に分け隔てなく注がれた、父の不在の理由は子供達にとって禁句、母の顔が曇るのを幼い頃に見ていたからである。
ふたりの子供は高校を卒業すると東京と京都に別れた! 私は永い間、同級生の還暦旅行まで姉弟の消息を知らなかった。
その姉と私が同級生だったことで、数十年の歴史が紐解かれる、姉から届いた手紙には、人生に悔いのないことが記されていた。
ここには「ありがとう !」の感謝の言葉が綴られていた。
弟の消息が知れて感激の再会が訪れた、人生の悲運に見舞われた男、彼はよくぞ耐えたと思う、その笑顔に曇りは無かった。
都会のビルの谷間、人情紙風船の荒波に彼はけして負けなかった、「何故、僕にはお父さんが居ないの ?」
「何故あの子は ?」子供の頃に呟いた淋しい言葉が、まさか今の自分に返って来るとは !
悲しみを隠して 否 忘れようと務めた健気さ、再びの笑顔を取り戻した彼の横顔を、私は万感の想いで眺めていた。
「よく頑張ったな !」云いたくても、託したくても言えない励ましの言葉、 男って奴は、男って奴は ! 切ない !
あの少年の日にまみえた彼の幼顔が、私の涙の向こうに霞んで見えた !
姉弟があれほど恋い焦がれた父は、長患いの治療を終えて故郷に帰郷した、私との出会いがそこで為された、父は教養のある素晴らしい人だった、私は薫陶を受ける事に為る。
彼ら姉弟にとって逢いたかった父である、人生の終わりに再会を叶えるこの幸運は、人の世の不思議を思わされた、真面目に生きた証である。
その後、彼らは力を合わせて愛する父母を看取って、あの世へ見送った、私に人の情を教えて頂いた大恩有る人である。
彼の名、私が愛すべき後輩の名は、Aと言う、 純真な遠い日の思い出。
「今度は、膝を交えて呑もうな !」
通天閣の灯が、再会を祝して 瞬いていた。
「ブラボ- ! グッドラック !?」
何故 ? その言葉は もういらない