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人生

男達の挽歌  荒波に翻弄されて

風邪のせいで声がかすれてでない、電話など大変である、昨日、忘却の彼方から気掛かりだった一人の男が現れた。

大手建築メーカーで営業をしていたY君、忘れられない男である「S先生!S先生!」と手続きに関することで頼ってくれた誠実な営業社員だった。

彼がその会社を退社してから消息が途絶えた、それ以来である、私の存じている地元建築メーカーで頑張っていた。

奇しくも私が今手掛けている申請案件の建築関係を担当している、出来る限りの協力を約した。

家族を抱えて苦労した年月だろう近日中の出逢いを約束した。

建築に携わる人といえば今日打ち合わせを終えた経営者も40を少し出たばかり、2人とも愛媛県は南予を故郷にもつ、厳しい世の中で、黙々と頑張っている、手助けしてやりたい !

私は40数年間行政書士として皆様にお世話になって参りました、その間建築業界をはじめ各業界の経営者は勿論、特に営業担当の方々に寄り添って来ました。

彼らのノルマ達成という血の滲むような努力を眺めて来て、苦しみに耐え明日を夢見る彼らの生き様に頭を垂れていました。

先般大阪で再会した後輩には、まさにその営業に人生をかけた後輩もいたのです、世の中は、社会は、舵を操る船頭だけでは進みません、いろんな分野の人々が一致協力して港を目指す。

契約寸前に施主が、商売敵の建築メーカーと契約を済ませた ! 大学出だての営業社員はその屈辱に耐えることが出来なかった、1人寂しく会社に辞表を出して、この地を後にしたのである。

忘れてならない悲劇の社員がいる私は彼と残された家族を忘れることが出来ない。

彼は、異種の職場から建築業界に途中入社して来た、30代の彼には家族の生活が掛かっていた、私に向き合う姿も必死だった、ある仕事でペアを組んだ私達は成功を目指して頑張った。

行政の冷たい仕打ちが悲劇を招くことになる、
その仕事は、同じ先例のものを私はこなしていた、自信もあった、担当の県職員が融通の効かない非情な男だった事が悲劇を生んだ。

プレハブ工法の建物で商売がやれる筈がない、先例を必死に説明しても県職員は納得しなかった、一生懸命協力した設計部もついに根をあげて、建築会社の本社は計画から撤退の断を下した。

彼の死の悲報がその数ヶ月後私の元に届いた、自ら命を絶っていた。

愛媛県の中村知事は、議員落選後の連日の街頭演説の姿を見て私は感動し、彼を応援し続けて来た、知事当選当初の県職員は様子見も有って市民県民には謙虚だった。

ところが今現在我々同業者の声は怨嗟の声で満ち溢れている、その部署の名前は控えるが、このブログを見た県当局に異存があれば申し受ける連絡をよこされたい、細かく部署、担当者名をお知らせする。

敢えて申しておくが私と県職員は至って友好的である、相手を立て穏やかに媚びない私は正攻法で県職員に相対する、疑問があれば臆せず質問する、彼らは私の自然体で私という人間を理解している。

必死だった彼の思いを、家庭までも無惨に散らした県職員は現在健在であれば75歳過ぎ、どんな余生を歩んでいるだろうか  ?

同僚社員の私への悲痛な声は、彼の残した幼子は身体に障害を抱えていたというものだった、その後の妻と幼子の苦労の人生に涙を禁じ得ない。

私の大きな後悔がここにある、私は役所を始めいろんな分野に人脈はある、だが助っ人を頼まないのが私のポリシー、しかし彼の家庭の実情を知っていたら、彼のために頭を下げて手続を成功に導いたはずである。

彼の死は防げたはずなのである、帰らない後悔、悔い  !  無念でならない。

「Sさん、どうしょうもない !」県担当者へ向ける士業者の嘆きを聞く程に、あの日の辛かった彼の胸の内を思い出すのである。

 

おごるな行政、公務員、日本の不公平は更に歪みを増して奈落に落ちる。

岩盤規制はただ中央官庁だけにあるのではない、お膝元の県市町村にこそある、

県民の嘆きに耳を傾けよ    !?

 

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