渡り鳥 海峡越えて
北朝鮮の非核化の一端として核実験場坑道爆破と言うニュ-スに接して昔、私の前に座った伊方原発作業員を思い出していた。
彼は作業工程の中でも最も危険な箇所の仕事を請け負っていたようで話が進むほどに腹の内を少しづつ見せてくれた、自嘲気味に渡り鳥と呼ばれている存在だと明かした。
「結婚は出来ない!」放射能に蝕まれる自分の将来をそのように悲観した「生まれて来る子供がかわいそう、だから結婚はしないのです!」その時の、その人の淋しそうな表情は、社会の矛盾を映して余りあった。
伊方原子力発電所は、私の母校の通学圏、多くの先輩後輩やその家族が住む町、前町長は3級下で、私が仲の良かった先輩の義弟、職員時代は私が可愛がった後輩と同級生でも有ったので来てくれた。
このように原発は私の身近に在る、先般亡くなった手話サ-クルの会長の座を引き継いでくれたK氏は、死ぬ間際まで反原発の闘志だった。
この原発に対しては私も一家言はあるが、原発事故と国際政治、国際危機との狭間で思いは揺らぐ。
私が一般の人と違うのは、原発現場で命を代償に生活の糧を得る、欲しいであろう我が子、子孫さえ断ち切った人々の苦悩を垣間見たからである。
北朝鮮の坑道爆破! 世界との対立を考えた時、本当に非核化を願うものだが、その陰でいかほどの政治犯、無辜の民が作業現場で健康を蝕まれたことだろう。
渡り鳥、苦難の末、旅を続ける本物の渡り鳥、子供時代の私の実家には毎年ツバメが軒下で巣を作っていた、せっせと巣を作って、又飛び立ったツバメに、原発の渡り鳥の姿が二重写しになる。
海峡越えて、朝鮮半島で自分の意志に関係なく労役に供された悲劇の渡り鳥、打ち萎れる民の阿鼻叫喚が心を揺さぶる。
米朝首脳会談、もしもが可能なら、戦争の危機もそうだが、物言えぬ渡り鳥に豊饒の海が帰ることを願う。
その人は、私に話し終えると、淋しそうに笑顔を見せて店を後にした。
ツバメのように、対に、そして父親になれなかった孤独な渡り鳥、その後の余生が健やかな人生である事を祈る。