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武道

被害者を守れ  時には受けて立て

動物の躾けをみれば分かるが、或る程度皮膚の痛みを与えて又は好みの食べ物を与えて躾をしている、いわばアメとムチ。

良い悪いは専門家でないから分からないが、人間の本性を考えても示唆するところが有る。

私が過去のブログで触れているが苛める側に皮膚の痛みをしらせる必要、苛め対策を考えた時、時と場合には必要だと思うのである、私自身が向き合って意見したことのある事件である。

格闘技、武道の経験の無い者が突発的にカッとなって相手を殴って怪我をさせた、殴った本人はそれほど怪我させる心算はないのに手加減が分からないから気がつくと肋骨が折れていた。

これ等、まさに経験が無いから程度が分からない、これが場合に依れば、殺人に至ることも有り得るのである、

「こんな筈じゃなかった !」

子供達の、中高校生達の、苛めによる殺人、これなど苛める側に手加減が分からない悲劇と苛められた経験がないため皮膚感覚の痛みが分からない、そのため攻撃が延々と続く。

勿論、彼らの性格に負うところが大きい、特にサディストに掛かると被害者は哀れである。

ある面危険性はあるが、空手、少林寺拳法等を習っている者は、火の粉が降りかかる場面に遭遇したら、有る程度実力の有る先輩等がいれば理不尽な相手を懲らしめるために (被害者と同じ皮膚、身体の痛みを感じさせる) 受けて立つのもどうかと思うのである。

彼らがこれ以上弱い被害者に牙をむかない為に、己の身体で痛みを知らせるのである。

余程の冷血人間でない限り効果が有るのではないかと思う。

早速彼らを擁護する人権派と称する面々が異議を挟むだろうが、弱者の痛みに寄り添えない者の言い成りになることはない、

弱者を助ける社会でなければならない。

 

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