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武道

芦原空手  セピア色

台風一過うだるような暑さが襲って来た、
昨夜は余りにうまいビールを飲み過ぎた、
2時間半の男同士の飲み会は店主が呆れるほど華やいだ?

秘密の隠れ宿、誰が名付けたか、言い得て妙 !
バラエティに富んだ洋食は、私には珍しいものばかり !

料理が運ばれる前に卓上に古いセピア色の写真が並んだ。
芦原空手発祥の地八幡浜、ジプシー稽古を挟んで芦原
空手苦闘時代の道場生が写っている。

芦原空手から袂を分かった勇者達の無邪気な笑顔が目に
飛び込んで来た、一部の青年を除いて皆10代~20代の空手ひと筋に青春を延焼した若者達である。

私は、その写真の面々に感慨深いものを感じながら目を皿に
した、 懐かしい ?

芦原空手 セピア色、 誤解のなきよう説明しておくが、それは古い記憶、あの日の若者達を振りかえる意味であって、セピア色に残る勇者達の軌跡 (写真) に未来を託したい。

ハガキ大の写真には、極真會八幡浜支部 1967.7 とある・・・八幡浜警察署柔道場か愛宕山中腹に在った公会堂の内どちらかであろう ?

そこには、まだ10代の頃の正道会館二宮師範、道真會舘久保師範(初代館長) 浜本、宮川、村田君たちの初々しい顔が見える。

もうひとつの写真には、八幡浜市民会館で初めてキックボクシングを行った時のスナップ写真が収められている、もうこの頃は空手の腕も上達して意気がった頃だろう、みんな精悍な面構えでポ-ズを決めている。

上記の師範たちと共に正道会館石井宗師、中元會舘中元館長、円心會舘二宮館長の在りし日の顔が写っている、皆目付きがキツイ !

横に立つ芦原館長が又若い、精悍な顔だが笑みを見せている。

この市民会館のちょうど裏に私の居酒屋が在ったので、見に行った記憶がある、倒す者、倒される者、血が飛んで結構悲惨な状況を見ることになった。

八幡浜道場での稽古には極真会館大山館長の姿が見える。

後年、極真を除名になった芦原館長だったが、私の知る門弟達は一様に、僕は芦原先生の弟子ですから、芦原先生について行きますと、辛勝に語ってくれたものである。

芦原館長にとってはこのうえない感動で有ったと推測する。

真冬の寒稽古、久保師範と石井宗師のキックボクシング。久保先生瓦の頭割り、とび蹴り等と業師振りが如何なく披露されている。

皆、良い顔していますよ ! その中の何人かが夜の町で、又は、市外へ遠征して喧嘩の腕試しをしたことだろう、まあ若さゆえ許してもらえると思うが ?

年とともに落ち着いた勇者ほど若い時には暴れ捲くったことだろう、芦原館長の強気が目に見えるようである。

今も元気に生きていれば、子供達の成長と日本空手界のみならず世界へ飛躍する愛弟子の姿に感泣したことだろう。

昨夜の食事会は、道真會舘久保伸道初代館長、現片山二代目館長に禅譲して大所高所から弟子の育成に心血を注いでいる。

同席は、私のブログに暖かい激励コメントを頂戴する武道多聞先生、

男三人の硬軟交えた武道談義は、世間話を交えて大爆笑に相成った、武道家も一歩そこから離れたら、俗人に戻ることをお進めする。

世界が広がりますよ ? 食事会に参加することで寿命が10年延びるような気がします。

夜も更けて参りました、昨夜のバカ話をつまみ食いして、不届きな夢でも見ると致しましようか ?

失礼を重々詫びながら  !?

押忍

 

補足、久保館長秘蔵の写真を拝借した、ブログへの掲載不得意な為、掲載できないことをお詫び申し上げます。

 

芦原空手  セピア色” に3件のコメントがあります

  1. 突然失礼します。芦原空手を検索していて、ブログを拝見させていただきました。その中で、1967.7の八幡浜支部の集合写真の話が気になりました。それは私の父も写真を持っていて、昭和42年12月15日の二級の賞状もあり、昔から極真空手が気になってました。空手バカ一代を読み、芦原先生に興味を持ち、昔よく父と話をしてました。父は先生が八幡浜に来た時から知っていて、懐かしく話してくれました。父は二級取得後、関東の方に引越ししてからは、空手はしていませんが、未だに芦原先生の話題はつきません。長々とすいません。

  2. 突然すいません。「芦原空手」を検索してこちらのブログにたどりつき、八幡浜支部の集合写真の話で、私の父(76歳)も同じのを持っているので、コメントさせてもらいました。私は空手バカ一代で芦原先生を好きになり、父に昔話をよく聞いていました。父は二級取得後、関東へ引越し、それ以降空手はしていないので、全くの疎遠ですが、今だに綺麗な構えを見せてくれます。長々とすいません。

  3. 西条さん、

    まずはじめに深くお詫び申し上げます、
    私のブログは、以前公開していた別ブログの頃、会の主導権争いで不毛の
    争いをしていました、

    その反省から「杉の子のひとりごと」は廃止しておりましたので、後続の
    行政書士杉の子ブログはコメントを承認制にしていたのです。

    その為、コメント確認をフォローしておりませんでした、数少ないコメント
    投稿者のコメントを頂いた事で西条さんのコメントを知った次第です。

    遅くなって申し訳ありませんでした、
    芦原英幸初代館長は、私が純喫茶バンビー、1年後のスナック喫茶杉の子開業の前後
    八幡浜市にやって来て、弟子の少ない暇な時代でしたので個人的に親しい付き合いが
    始まったのです。

    お話の頃でしたら、初期の頃のお弟子さんたちは、それぞれ私の店へも来ていましたので
    あるいはお父様にお目にかかった事があるかも知れません、そうでしたか、
    お父さんと会う時があれば「パンピー」「杉の子」店名を言ってみてください、同時期
    ですから、店で又は市内ですれ違っていたはずです。

    同じ道場生で親しい方がいれば、それぞれの店名と上杉嘉一の名前を知っているお方が
    いるはずです、遅くなってしまったコメントへの返信をお詫び申し上げながら、
    あなた様との出会に感謝いたします。

    行政書士 上杉嘉一

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