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M君は  暴走族

私の近所に小学生のぼくが引越しして来た、おばあちゃんの家に九州から帰ってきたのだ、出会うと下を俯いて恥ずかしそうにしていた。

お姉ちゃんが3人、お兄ちゃんがひとりの5人兄弟姉妹、

お父さんがここのおばあちゃんの長男で叔父さんはプロのゴルファ-とのことだった。

転校生の悲哀を知る私の弧線が振れる、だから私は出会うと必ず声を掛けた、

彼が中学生になって知るのだが、初めの頃は苛めに有った様で、それでへこむ子ではなく強い者に挑む勇気を持ち合わせていた子供だった。

そのぼくとの縁でお姉ちゃんたちが反応した。

出会うと得もいえぬ笑顔を見せてくれるようになった。気持ちの可愛い美人姉妹、お兄ちゃんだけは恥ずかしがり屋 だったが、とうとう口を利くようになった。

それから数年後、夜な夜な近所を改造単車に乗った少年たちが爆音を響かせて疾走するようになった。

「誰だ ! うるさい !」 と思うのだが誰も注意出来ない、何と16~17才になったぼくM君の仲間達、近所で私だけである、怖い暴走族と談笑するのは。

その町一番の大型店舗へ買い物に行った時、2階エレベ-タ-前で3~4人の暴走族の兄ちゃんがたむろしていた、私は眼を合さないようにすれ違った。

「こんにちは! 買い物ですか ?」

M君を中心とした暴走族の兄ちゃん達だった、全員の笑顔が弾けていた。

その後、M君は就職して我が家から松山市へ引っ越した、2年後自宅に帰ったところに出会った !

「M君、今も単車に乗っているの ?」

私の問いに、満開の笑顔で返事が返って来た・・・

「いや! もう乗っていません! いつまでもバカをやってられませんから !」

爽やかな笑顔だった

「そうなんだ、たまには帰っておいでよ・・・」

・・・

「うちに元暴走族の強い道場生がいますが、将来楽しみな男です、名指導者になりますよ !」

フルコン空手の雄、K先生、飲み会の席での言葉だった。

「Sさんは暴走族の子供達が好きだから・・・!」傍で武道多聞先生が笑顔で答えた。

幕末薩長土の志士たちを現代に置き換えると、それは暴走族の有志たちだと私は確信する。

日本が一朝事ある時、彼らは愛国の志で必ず立ち上がる、日本を愛することでは右に出るものはない彼らである、尖閣で沖縄で朝鮮半島でのろしが上がったら彼らは立つ !

M君の後方支援で年老いたこのSが弾〇を運ぶ。

学歴優秀組に国を立て直す蛮勇はない、底辺でややもすれば

のけ者にされる暴走族と自衛隊の我慢の隊員たちだと考える。

M君たちの、暴れまわった人間味にこそ託される価値を見る !?

 

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