究極の空手
この歳になって沖縄空手の真髄の一端が少しだけだが
分かるようになった気がいたします。
遡ること江戸幕府の薩摩藩に影響を受けていた
琉球沖縄は、武器を取り上げられた農民達が身を
守るために農具等を利用して、身の安全を図って
いた。
弱者の知恵が、
そんな工夫を余儀なくさせていたのである。
( 時代考証に誤りがあったらお許し願います )
沖縄空手に尊敬の念を持つ私は、動画で紹介される
沖縄空手道場の門弟の言葉に衝撃を受ける事になった。
「喧嘩に空手は使いません! 一生使わないでしょう?」
それまで、空手を志す者、ほとんどの人は、
「いじめにあったから強くなりたい !」
「喧嘩に強くなりたい !」
その理由が大半を占めていた、そのようなものだと
私は思っていた。
ところが、鋼鉄の鋼を作るように、自らの身体を鍛え
いじめ抜く空手家の当たり前のような答えに愕然とした。
不肖私を始め、私の知り得る武道家は、大小はあっても
真面目な言葉と裏腹に腹の底では、機会があれば腕試し
をしてやろうと機会を狙う ?
そして、結構実戦を経験して来たのである。
本土の空手の主流はスピード&寸止めルール、近年極真
等に見るフルコンでの直接打撃が普及して来たが、沖縄
空手との根本の違いが更に見えるようである。
もともと空手とは何ぞや ! その究極の値打ちは何処に
ある、
そこで私の幼少の記憶に残っている兵隊帰りのおじさんの
言葉が思い出される・・・
「その二等兵は、沖縄の人での、上等兵のイジメに必死に
耐えていたが、とうとう我慢、辛抱できずに手を出したの
よ ! アッという間に上等兵は倒れた ! こんな話はよく
あった !」
我慢する沖縄人間の歴史に培われたDNAを見るようである。
その兵隊さんは使わない筈の空手を我慢できず使ったのである !
私は兵隊帰りのMおじさんの話を食い入るように聞いていた。
私の深層心理にこの時のMおじさんの言葉は染み込んでいった、その後の空手習得に影響した事は否めない。
もうひとつ思い出すのが、芦原空手の芦原館長の心構えである、道場破りに看板を剥ぎ取られたら・・・
「手段選ばず相手を倒す!」
手製の手裏剣を取った彼の目は光った !
後日の道場破り ( 実際は教えを乞うてきた他流派の空手修行者だと思うが ? )
対応した、し烈な反応に、それ程までしなくてもと思ったが彼の言うことが本当なのかも知れないと思うようになった。
そのまま帰らせたら「芦原空手は大した事なかったよ?」と
吹聴される恐れはあっただろう ?
彼であろうと殺す事まではしない、足腰立たなくする程度は必要なのかも知れない、凡人の浅はかな回顧録である。
使わない空手、避けた喧嘩 !
別流派の有段者との回顧録は別の項で語って見ようと思います !?