よき時代だった、昭和がまだ輝いていた。
鎮守の森 八幡神社
片矢部町94番地、神社下、
その広い境内から2m幅の参道が図書館へ向かって下りる、
その脇に、若い二人の木造2階建ボロアパ-トは建っていた。
「サブちゃん、米びつに、もう米がないよ?」
女房鈴の沈んだ声が聞こえて来た、
「そうかい、それじゃ、ちょっとRへ行ってくらぁ !」
家具職人のサブの給料は僅か、それを鈴の内職の収入で
補っていた。
前の道路を南へ少し進み矢原町銀座通りの角を西に曲がって
何軒目かに目当てのRパチンコ店は在った。
パチンコ仲間の元さんが先に奮闘中だった、
ふたりは、二言三言声をかけるが、その後は必死に釘と
にらめっこ、サブのパチンコの腕はパチプロ顔負けだった。
その夜、数千円を稼ぎ、まず米屋で米を買った後、鈴の待つ
アパ-トに帰った。
「鈴よ! ご飯が炊けるまでカキ氷食べに行くかい ?」
サブの言葉に、鈴の顔が輝いた !
「サブちゃん、ほんとう! うれしい!」
「サブちゃん、お金残っているの ?」
恋女房の鈴が、甘えた声で振り返った。
鈴は貧乏に強い、控えめな女性だった、
少しの幸せを心から感謝できる心優しいおんなだった。
・・・・・
サブと鈴の物語は、始まったばかり・・・
昭和が輝いて、子供たちが明日の日を夢見てどろんこに
なって駆け回った良き時代の日本の姿がそこにはあった。
その後、ふたりには男の子が3人生まれて、
貧しいながらも会話の有る楽しい家庭生活が営まれた。
兄弟付き合い同然だった私Sがその町を後にする時
家具職人から独立したばかりのサブから食卓テ-ブルを
購入した。
30年以上経った今もテ-ブルの色合いが薄れることはない。
サブの渾身の技が別れに際して刻まれていた。
幸せは長くは続かなかった・・・
若くして病に倒れたサブは長男の結婚式を見ずして黄泉の国へ
旅立った。
詩吟を愛でたサブが、一度だけ聞かせてくれた演歌、
こぶしの利いたその喉から発する唄声は、
中学を卒業して山間の町から見ず知らずの港町へたどり着いた
サブの境遇を表すように・・・哀愁を帯びてしのびないた。
あの時の、サブの表情が忘れられない。
サブよ! サブ !
いつの日か、ふたたびその歌声を、その喉を聞かせてくれよ!
あの、八幡様の灯が懐かしい。
ボロアパ-トの前で、サブの帰りを待つ鈴の顔がはにかんでいた。