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人生

雨の雫に 人生を想う

雨の公園は自分を見つめ直すには最も適した場所、これからの未来と懺悔を伴う過去が交互に去来する。

この職業を選んだ事で人の何倍もの人生を知る事が出来た、人の悩みを聞くということはその身に自分を置くということである、知らない世界が開ける !

ある人は、貧乏に打ちしおれ、別の人は恵まれた生活なのに愛に飢えている、うまいことはいかない。

まだ、命が保証されているだけ儲けもの、私の側を通り過ぎた人に自死を選んだ人がいた。

生きたくても生きることの出来なかった人、寿命が限られて寂しくも病院で息を引き取った人もいた。

私が若い頃、まだ二十歳に届かないその若者はある時私の店にやって来た、5人がけのカウンターで座った彼にボックス席側、そう後ろから私は声をかけた  ?

その時は気がつかなかったが後になって振り返ると振り返って私を見た彼の表情は余りに淋しげだった。

その晩、彼の人生は途絶えた。

それまでにも経験したことだが、「お別れに来てくれた」のだと思った。

言葉は出さないのになんとも言えない悲しい目、共通の表情だった。

生きていればなァ   !

どんなに豊かな人生を築いたろうに   ?彼らの想いを忖度する、同級生でも独身のまま一生を終えた者が数名いる。

心踊る恋愛をして人並みな家庭を築く、このシアワセを味わう事なく逝った男たち、涙を禁じ得ない。

雨の公園は女性との想い出より、生き方の下手な野郎達のことを思い出させる。

殺伐とした青春  !「おのれ !」闘い行く青春は、夢幻!

穏やかな老境に切ない思い出が蘇る・・・

「ああ!  そう言えばあんな事もあったなア  !」公園の木々が雨の雫に濡れている、病に伏せる友の顔が脳裏に浮かんだ、

「ああ! そうだった逢いに行くんだった」生きているうちに、「励ましの笑顔を見せよう  !」

友の死を迎えるほどに我が心は童心に帰る、心が素になる。

公園の車が一台二台と 🚘    家路を急いでいた       !?

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