遍路の巡る回路
ここで云う遍路とは四国八十八箇所参拝のお遍路さんのことではない。
松本清張原作の社会派ドラマ「砂の器」に出てくる貧しい「人たち」を指す、 戦後の日本のあちこちで見かけた、ぼろぼろの衣服を纏った人たちを云う。
私が子供の頃の田舎にも定期的に歩いて来る「へんど」と蔑まれる人達が居た、 顔のゆがんだ大人、地元の気の触れたおじさん、母子で巡回する二人連れ親子、 この母親は凶暴で子供心に怖い人だった、男の子にも影響して敵対的な態度を 取る怖い存在だった。
戦後の混乱期、財政破綻の日本に社会保障のなかった時代である、 映画「砂の器」は野村芳太郎監督作品、加藤剛主演でハンセン氏病を患った 父親と子供の遍路回路の悲しさをこれでもかと見せつける物語だった。
加藤嘉の胸を突く演技に引き込まれた名作である、吹雪吹き荒れる海岸線の 遍路道、物語は、殺人を犯したピアニストと刑事の行き詰るクライマックスへ と向う。
私が子供の頃見た「へんど」さんは、社会の底辺に取り残された究極の貧乏人 の姿でもあった、何処にねぐらが在ったのか今になっては判らない。
歩いて廻るへんどに優しい村人だけではなかった、嫌われて罵られて歩く遍路道、 日本の縮図がそこには有った、砂の器は臨場感を持って私の体験を具現していた。
私の精神の支柱、拠り所のひとつに子供の頃の人間関係が作用している、貧乏な 人達への両親の愛、自分の家庭が貧乏なのに、それでも温かい目を向けた父と母、 私の誇りでもある、博愛精神と特攻精神の両輪はそんな環境で培われた。
人間愛と覚悟を決めた時の冷徹さ、私の身体の中に奇妙に同居している、 その我が心を見抜いていたのは、終生の友、柔道部主将 S・Oである。
「お前は振り上げた刀は必ず振り下ろす!」常に自戒の言葉としている。
遍路の巡る回路
そこは白波が立ち、髪をも凍る吹雪が舞う回路である !?