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京都アニメーション事件

痛ましい京アニ放火事件に犯人への憤りと被害者への思いに心が乱れる、事件現場へ被害者のためにお悔やみに訪れる沢山の人々の善意に、僅かながらも心慰められると言えばお叱りを受けるだろうか   ?

事件の概要が分かって来るほどに慄然とすることは、犯人がガソリンを撒いて被害者が生き絶えるまでの時間経過の非情さである、仕事中、あっと気がついて必死に逃げ惑う人々の余りに短い生の時間、過去にないその短時間での死因に被害者の無念を思う。

灯油と違うガソリンの怖さ運命の非道を感じざるを得ない。

今日の新聞紙面に殺人事件の概要等が掲載されている、ある日突然命を奪われる被害者の無念、逮捕後の加害者の手厚い保護との落差に国民のやるせなさがある。

歳の行かないとの理由で少年法に守られる犯人、精神疾患との名の下に刑を免除される殺人者、「日本の国はどこか狂っている ?」  私の身近にいる知人の声である。

私を含めて経験した事だが、果たして法律は国民を守ってくれるのだろうか  ?その弁護方針を含めて弁護士の役割に疑問を呈する。

誰が見ても完全な犯人なのに、理屈をこねて物言えぬ被害者の尊厳を無視して加害者を擁護する弁護士の弁護方針、どうしても納得する事はできない。

各凶悪事件の罰則軽減は司法への不信感を助長して国民に影を落とす。

つい映画で時代劇を見ると、仇討ち免許状に行き当たる、「仇討ち!」艱難辛苦、無念の末亡くなった肉親の仇を討つ   !

江戸武士社会の名残は現代人が求める司法への不信感の徒花かも知れない。

殺人現場、現行犯逮捕!駆けつける警察官による「即処刑!」見せしめとの批判を受けることを承知で想像する、アメリカ社会で見受ける場面で有る。

少年法撤廃、精神疾患、意に介さず、正常な人間として対応する、これだけでも法の信頼性は保たれる、「法に分け隔てなし!」長年拘置されると死刑囚への忖度が拡大されて国民に誤認される、だが、冤罪は別として、ひとりの多数の無辜の人間を殺めた事実を忘れてはならない。

特に我が子を殺めた親は、当然の報いで死刑されるべきである、世の中でただひとり(二人の)助けを求める子供に手を掛ける畜生である、自ら処刑を嘆願すれば良い、それが親としての責任である。

京都アニメーション被害者の方々の悲しみに哀悼の意を表します        !?


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