帰郷のたびに我が母校の前を通るのだが我が学んだ校舎は
当に建て替えられて、敷地の配置が変更されているため
目当てのヒマラヤ杉が、分からないまま今日を迎えていた。
「ヒマラヤ杉、有るの ? どの位置に在ったっけ ?」
先般、開催された支部同窓会の時に、一級後輩の支部長に
尋ねたところである。
「Sさん、先輩、ちゃんと残っていますよ !」
そう聞いていたので、今回、姉を見舞に帰郷するのを幸い
母校に寄って見た。
グランド校庭では高校野球夏の大会を控えて野球部員達が
元気な声を出しながら熱心に走り回っていた。
建て替えられた校舎の前、左右に位置して2本の杉の木が
茂っていた、記憶のヒマラヤ杉よりも低くてその代わり
枝が横に広がっていた。
(すっと高くそびえ立っていた筈なのに な ?)
そう思いながら眺めていると講堂から二人の女学生が出てきた。
早速、声をかけた・・・
「ヒマラヤ杉は、どっち ? もっと高かったと思うけど ?」
突然の質問だったが彼女達は親切に応対してくれた、
「昭和 年 第 回卒業組ですよ・・・」
「そうなんですか !」 爽やかな笑顔だった。
彼女達が去った後、私は左側の大きい方の傍に立って大きな幹に
手を添えた、
「卒業年 第何回卒 在籍した科等話しかけた、
記憶に残る背の高いヒマラヤ杉ではなくまるでクリスマスツリ-
のような形のヒマラヤ杉に代わっていた。
我々卒業生に艱難辛苦が有ったように、校舎建て替え自然の猛威
等経験したマラヤ杉にも歴史が織り成されたはずである。
訪ねたかった恋人に逢えたような、感動を覚えていた。
その後、長らく逢ってなかった故郷の姉を訪ねた、
介護施設から一時帰宅したばかりの姉は長男の嫁の支えでテレビの
前に座っていた。
随分ふけた、そしてやつれていた、子沢山の貧乏百姓に長女として
生まれ、兄弟姉妹のために自分の幸せを後回しにした人である。
ひとりで犠牲を請け負わせてしまった、88歳になっていた。
息子の嫁が「誰か分かりますか ?」 問いかける・・・
「分からん!」 表情のない顔だった、
「S姉ちゃん、誰か分かる、Sだよ!」 私の問いかけにも・・・
「分からん・・・」 と答えた、
私を待ち焦がれたはずなのに、今日まで訪ねることが出来なかった
故に、弟の顔さえ判別できない領域に踏み込ませてしまった。
姉の顔を下方から見上げながら私は涙が止まらなかった。
家業の農家の農作業のために、面倒見ることが出来ない甥夫婦は
また、姉を介護施設に預けることにしている、
嫁の言葉を聞きながら、私は内心思っていた・・・
施設に逢いに帰ろう、そして万分の一認知症の軽い時があれば
私に逢いたかった姉に、弟 Sだと認識させてやりたいと決心した。
身近に迫ったあの世へ 旅立つ前に、姉弟の絆をもう一度分からせて
あげたい。
逢いたかった母校のヒマラヤ杉と最愛の姉との再会に、心震えた一日
だった、それは今しかない、今でしょう !?
涙は、本人の意志に係わりなく流れ落ちる、傍で貰い泣きする人がいた。