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思い出

ヒマラヤ杉は見ていた

ヒマラヤ杉は見ていた

「バシーつ  !」

一瞬、辺りが暗くなった、何が起きたか分からない、1~2秒後、小さなため池の水面が揺らいで見えた。

卑怯者や卑劣な男達に立ち向かう私の目覚めの時になった、横の友が気の毒気に覗いている、「やりやがったな    !」学生の中で不釣り合いな大人がひとり苦虫を噛んでいた。

農業高校へ進んだ私は両親の苦労を見て育ったので何事も勘弁な真面目な学生生活を心がけていた、その時は、高校三年生になって間もない頃のことである。

実習時間のひと時、園芸科校舎の横にため池があった、その水の中の何かを覗き込んでいた時に右か左か忘れたが頬に激痛が走ったのである。

犯人は園芸科の補助員、今考えるとオッチャンは40前だったように思う。

私の周囲に番長連中が数名いて彼らが何かをやらかしたのだが、手に負えない学生には意見できない為に私へその腹いせを向けたのである。

学生の向こう見ずは若さの特権、許されると思っている私だが、このオッチャンの行動は以降の私に男とは何か、何を為すべきか、大事な教訓になったのである。

しかし、その時の私は、相手に文句を言う度胸も気持ちも起こりようがなく、グッと歯を食いしばって我慢した記憶がある。

その平手打ちは、言わば不意打ち、意見をして後の行動でない事に男としての無作法・無礼があった、私に空手に先手なしの精神を植え付ける元となった。

だまし討ち、無意識に横から殴って来た、卑怯者   !常に正面から堂々と向かう私の覚悟と目覚めでもあった。

今考えれば大したことのない平手打ち、ただ分厚い作男の皮膚の感触だけが頬に残っている。

「卑怯者になるな  !」真正面から挑む男の原点が此処でもあった。

相手に先に手を出させる、殴って来てから反撃する、「空手に先手なし」 男の作法、彼はその先生でもあった。

私が水商売を初めて何年後、彼はその土地の先輩達と一緒に来店したことがある、私は普通に良き経営者の姿で応対した。

先輩達から私のことは聞いていたと思うが、彼の胸中を伺い知ることは出来なかった、ただその顔に滲みでる表情に彼の困惑が見て取れた。

私を始め全校生徒を睥睨した番長達は事あるたびに私に相談するようになっていた、主客転倒  !  時代の流れがそうなっていた。

私がよく言う事に、皮膚の痛みを経験する事、それは相手への思いやりにつながる、経験させることの必要性   ! を説く   !それは、貴重な教訓として人生勉強に役立つ事になる。

我が母校のヒマラヤ杉が、その時、黙って私を見下ろしていた、

そして今、

「よく頑張ったね、悔しかったけど良かったね  !」

殴られて知る弱者の弱さ悲しさ、それは強き者へのステップなのである         !?

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