仏心にひそむ悪魔
私が刎頚の友の言葉を思い出す時、そこには自分にはない自分が佇んでいることを感じる時である。
普段、人の話を素直に聞ける人間だと自問自答する自分なのに、国と国の問題になると俄然許容範囲が狭くなる、険になるといえば良いのか ?
だから出来るだけ国際関係は深刻に突き詰めないことである、軽く聞き受け流す、程々の会話を心がける事になる、相手によってはそもそも触れない。
親日か反日か、この見分けも必要になる、無駄な論争をする必要がないからである、宗教と政治には深く入り込まない。
そもそも穏やかな話し合いができぬなら、敢えてする必要がない、私は面と向かってノーと言わない、相手に気を使うからである、だから触れない。
だけど、自分勝手に解釈する人には、ノーと言う時もある、そんな人は案外自尊心の強い人が多いから、「Sさんの言葉はキツイ !」と受け取られる。
相手の腹の中を読むと、自分の考えを否定されたと受け取るようである、特に心の幅の狭い人から言われて来た。
小さい頃からイジメられて来たから(肉体的イジメはない)言葉の暴力に対する抵抗力は結構強く気に留めない性格になったが ?
人に理解できない横着さが備わっているのだろう、その延長線上に友の次の言葉が重なる、「お前は!一旦振り上げたら必ず振り下ろす !」
危険極まりないものを持っての狼藉を指す、私にとって青天の霹靂、思いもよらぬ言葉だった、自身が気のつかない内面にそんな怖さを持っているのだろうか分からない。
それ以来常に自重することを心がけている、友の指摘を肝に銘じる私である、
世界各地で繰り広げられる戦争の狂気 ! 無惨さ !そこにピタッと視線が止まることがある、私の内面に鬼が、いる、生死の戦いの場でしか出ない、巨悪な鬼が !
仏心にひそむ悪魔 !
誰の心の奥にも悪魔は潜んでいるのかもしれない、自重 !?