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人生

セピア色からカラーへ

思慮深い人だね、

あの人は軽薄だね   !

こんな言葉を聞くことがあると思います。

どうですか?  周囲を見渡すとどちらかに偏ることがお分かりでしょう   !

思慮深い人は、言葉を噛み締めてから発言するが軽薄だねと言われる人は心に言い聞かせる前に口から出てしまう。

我々の周りを見渡しても「うん!いるいる」と感じるはずである、そんなことで救われたこともあれば失敗したこともある。

言葉とはそれだけ大事な自己表現、私など失敗した事の方が多い、さぞや、あの野郎と罵られた事だろう   ?

それが、人生を左右するほどの重要な場面だったら取り返しはつかない。

「Sさんの言葉はキツイ  !」過去に何人かそう言った友がいる、それは私の過失というよりも無知から出た事でもある、さぞかし「軽薄だね?」と言われた事だろう。

むさ苦しい若い頃の私は軽薄そのものだった   ?「何   ?   てやんでい  !」出て来る言葉はベランメイ調、普段おとなしい私しか見ていない人は思わず顔を見合わせてため息をついて呆れた   !

それを見ると殆どの人は拒否反応を示すが、気合の入った若者は共感した、そして僅かのあばずれ(ごめん) 乙女がウットリ見とれた。

これがそもそもの勘違い、多数の人が拒否反応だったことを本人は知らなかったのである。

風雪流れて、人の言動を冷静に眺められる歳になって初めて自分の後ろ姿が見えて来る、「お前は、肩を怒らせて誰にものを言っている ?」  恥ずかしい我が幻の後ろ姿である。

風邪をこじらせて治るのに時間がかかった為、友の見舞いが遅れて、ようやく一昨日と昨日、2人の見舞いに行った、武道の高段者と農業に生涯をかけた同級生、その時気がついた事は共に冷静な覚悟と毅然とした生き様をしているという事だった。

我が闘病生活を思い出して、その見事な佇まいに感銘を覚えた。

命の瀬戸際に立つと私もそうだったが、金銭欲が頭から消える、生への執着が大なり小なり心を占めるがそこに見えて来るものは ?

私の場合は、自分の寿命の事より残される家族への思いだった、私には、やり残したことがある、家族と関係者への生活の安定と言う家長としての務めである。

胃カメラ、大腸カメラの検査結果が良かったことで、私の願いは叶えられることが出来る、心置きなく黄昏に立ち向かうことが出来る、そう思うと運命に感謝せざるを得ない。

16年前、「はい!悪性腫瘍に間違いありません !」

検査結果を院長先生は冷静に伝えてくれた。

今回は、院長先生の気配りで、その役目は女先生に代わった、

「何も異常ありません、良かったですね   !」

あのセピア色の世界が、柔らかなカラーの世界に変わるのを感じた            !?

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